法の文脈における「人権侵害」について

訂正1

法曹実務家レベルから違った認識と議論の枠組みが出されたので、このエントリーの信頼度は割り引いて下さい(真ん中の段落は全て取消します)。ラディカル・フェミニズムが言うような「差別」概念までいかなくても、裁判で主張できるレベルの「差別=人権侵害」概念はもっと広い感じなのかもしれません。以下のブコメ欄で適切な枠組みが示されていますので、そちらを参照して下さい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090530/1243715951
isikeriasobi 議論の枠組みがおかしなことになっています。差別は人権侵害です。この件はこれが差別といえるかどうかの問題(たぶんここで議論はとまる)、そういえたとして私人間の人権衝突の調整の問題です。 2009/05/31

NaokiTakahashi それは、今度は「差別」の定義論になるんじゃないですかね。ラディカル・フェミニズムが言うような「差別」概念とは別に、法的な「差別」概念があるのかな? 2009/05/31

barcarola =isikeriasobi / id:NaokiTakahashi そうです。法律上は特定個人にむけられていない行為について、それが世間的な差別感情「に基づく」/「を助長する面がある」としても「差別そのもの」として考える枠組みは未整備です。

訂正2

人権侵害の所に「法的な」という補足を入れました。平等原則から導き出される「差別を受けない権利」はかなり消極的な権利であり、「平等権は、それだけでは何も保障していない。空白の権利である」と言われています(「平等原則説」という通説)。それ以外には、平等権を肯定する少数説や、憲法は条文を見るだけでは分からなくて、政治過程あるいは裁判過程を通して、初めてその具体的内容が分かる。そのため、平等原則は具体的な裁判規範であり、それに対する裁判所の判決を通じて初めて明らかになるという学説もあります。
私の場合、「裁判規範性が認められるレベルの差別=法的な人権侵害」という事で理解していましたが、これは間違っている可能性もあるので、次のエントリーなどで考察していきます。

言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊び
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090529/1243539743
私のはてなハイクでの簡単な返信
http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9236532703455524803
差別が人権侵害でない? - 地下生活者の手遊び
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090531/1243698897

id:tikani_nemuru_Mさんからトラックバックをいただいたので、応答します。

法の文脈における、差別と人権の関係を教えてください

ここらへんは法律学を学んだ人以外には知られていないのですが、少なくとも日本の場合は「差別=人権侵害」ではなく、「憲法上保護されるべき利益の侵害=(憲法上の)人権侵害」として、救済や規制の対象となります。

議論の構造に関していえば、英語では通常、rightsの反対語はwrongs(=権利侵害、不法行為など)です。human rights(人権)の反対語は human wrongsで、これが日本語で言う所の「人権侵害」になります。「差別」というのは、あくまで「人権侵害」を構成する一要素であり、それに過ぎないとも言えます。そのため、「差別性が認められる事」を「(法的な)人権侵害」に格上げするには、政治過程もしくは司法の場での認定・定義づけ等が必要になります。
そして、「(法的な)人権侵害」に格上げされた場合は法的な救済措置や規制などが取られる可能性が高いというのが、おおまかな構図です(これは学部及びロースクール卒のレベルまでの認識なので、実務家レベルになると違った認識になるかもしれません)。

政治運動をやってる人やその代理人の弁護士が「人権侵害」と主張しているのは、「(法的な)人権侵害と認定しろ」という事であり、それはポジショントークとしては当然でもある訳ですが、対立する利益を有する側までがその枠組みを受け入れてしまったら、そこで議論は終了に近く、すぐに法規制に向けた動きが本格化します。

tikani_nemuru_Mさんの「差別ではなく人権侵害と認定する事から始めよう」という議論は、NaokiTakahashiさんには「特殊な法学の枠組みを受け入れて、スタンダートな憲法学の議論による抵抗は諦めて失業しろ」とほぼ同義であり、これはゲーム製作者であるNaokiTakahashiさんには到底受け入れられない結論だと思います。この事のもたらす破壊力に関しての懸念は、tikani_nemuru_Mさんの前のエントリーへのコメントで何人かの方が述べていますが、私見では、半分以上は筋が良く法的にも妥当性のあるコメントだと思います。

差別は人権侵害である、という認識に関しては、他の資料もあたっているにゃ。人種差別撤廃条約の前文や第1条とか、「差別は人権侵害」と明言している弁護士(日本労働弁護団幹事長)の意見書、雇用均等政策に関する審議にあたっての意見とか、まあほかにもいろいろ。

弁護士の意見書はポジショントークです。「当該差別=(法的な)人権侵害」と認定されれば(多分)裁判で勝てるので、そう主張するのは当然の事ですし、そういう「高めの玉」を投げておいて、最終的な着地点を依頼人や自分が利益を代弁する側に少しでも有利な地点にもっていくのは、普通の戦術だと思います。
ここから、何故「この行為や制度が差別であり解消されなければならないのか?」「この差別的行為は(憲法上の)人権侵害と認定してしまえるレベルではないのか?」といった事を争っていくのが裁判であり、対立する利益を有する側の代理人の弁護士は「当該差別は(法的な)人権侵害ではない」という趣旨の反論を出しているはずです。

世界人権宣言や女子差別撤廃条約に関しても、同じ力学が働いていると思います。とりあえず、政治スローガンとして目いっぱい「高めの玉」を掲げておいて、何十年かかろうとも、漸進的にでも、それが実施されるようにもっていくという感じだと思います。
「差別ではなく人権侵害と認定する事から始めよう」という枠組みは、そういう特殊事情で定義された政治スローガン的な枠組みを受け入れて「人権」概念の拡大化を図る事になり、特定のカテゴリの人達の「人権」だけを肥大化させるなどの副作用や弊害も大きいので、私はスタンダートな憲法学の議論や枠組みを前提にして、一定程度特殊な法学の議論も取り入れて、全体のバランスで考慮していくのが妥当だと思います。

国連女性差別撤廃委員会が、例えば日本における特定の慣行を「女性への権利侵害」と認定した場合でも、それは日本政府にとっては法規制が義務づけられているわけではにゃーよね。
つまりこれは、法的な文脈においてすら、「法規制されない人権侵害」がありえるということになるんでにゃーの?

人権侵害にも、色々なレベルがある事は確かです。国連女性差別撤廃委員会が認定しているのは、「誰が見てもこれはひどい」といったレベルのものですが、そうではない「人権侵害」のレベルの細かい違いを区別するのは、法学部卒のレベルだと難しいですし、世間一般の人々は法学部は卒業していない人が大半です。
だからこそ、「人権侵害」と認める範囲を大幅に拡大していく枠組みには、警戒心も大きいのだと思いますし、昨年の国籍法改正問題の時の国会議員の発言や児童ポルノ法に関心を持っている(法曹出身以外の)国会議員の発言レベルのひどさを見れば、立法においてもそういう区別ができるとは思えませんので、軽度であろうとも「人権侵害」という枠組みが出来る事自体が即座に法規制に繋がると思います。

なお、日本の人権状況ですが、OECD加盟国の中だけで見ると最下位レベルにあるという事は確かですが、世界中の国を比較対象にした場合は上位に位置します。

日系人への帰国支援に伴う帰国制限の問題

帰国支援日系人の再入国、3年後メドで…“追放”誤解避け(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090511-OYT1T00513.htm

「誤解を招く」という事で、日系人向けの帰国制限問題は解決したようですが、ネット上に記事が残っているので、この問題に関する新聞記事をストックしました(http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/305.html)。

個人的なまとめ
(1)「誤解」というか、当初は「再入国できない」とだけ日本の新聞だと報道されてました(http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/305.html#id_9ae57a87
(2)サンパウロで発行しているニッケイ新聞が帰国制限反対キャンペーンがされていました
(3)日本政府は↓のような反論になっているのか疑問な抗議文をニッケイ新聞宛に送っていて、対決姿勢を見せていました(http://www.nikkeyshimbun.com.br/090407-72colonia.html

学部レベルの知識だと、行政解釈上、法的根拠は通達まで認められているので、帰国制限の法的根拠は通達でも大丈夫なのかな?と思います。但し、「日系人」の在留資格は告示によって認められましたので、権利の剥奪には同等以上の法的根拠(本来は法律レベル)が必要だと思うので、期間制限を定めない場合(=権利の剥奪)はかなりの確立で法相の職権乱用になってしまい、国会で追及されると分が悪くなりそうなので、日本政府は後付けで軌道修正したのかな?と思いました。

創作物への表現規制と人権の関係(その2)

前回記事へのブコメ欄(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090509/1241868806)でのコメントに対応した補足。

WinterMute 表現の自由, 規制 ”どこの界隈にもそういう人はいて、目立つのはそういう人達” 此方も彼方も確かに、まあ。規制派は宗教勢力が、見えづらい・大きい、というイメージ。だから”フェミニスト”とは認識してなかった。 2009/05/10

創作物規制は、極論系のフェミニスト、宗教保守なんかの左右の極論が引っ張っていて、それに余り関心のない無関心層が引っ張られている感じです。フェミニズム系は、有名所の上野千鶴子教授や福島瑞穂議員なんかが規制反対派なので、そちらのイメージが強いのだと思いますが、規制派には宗教勢力や純潔教育を支持する右派だけでなく、左派やフェミニストの間でも規制推進派はいます。
左派フェミニズム以外の規制の根拠も、パターナリズムやリーガル・モラリズムの都合のいい所の切り張りなどもあったりと、日本の政治運動は色々ごちゃ混ぜになっています。

sauvage 人権, 正規表現, 言論の自由 説明がすげー変だよ。例えば公民権獲得運動を人権運動等と余り言わぬ通り社会契約論的な古典的人権、基本的人権と拡張されたそれは分けた方がいい。進歩主義の影響下にある立法変革主義と基本的人権の衝突でしょう。 2009/05/10

メンズリブも入っている穏健派のフェミニストの人に、創作物規制との絡みで聞いたので、そういう感じの認識になるようです。もちろん、正確には違うんでしょうし、思想的な根拠の強い人権獲得運動といった感じの捉え方なのかもしれませんが、対象を限定して整理すると、そんな感じになるようです。
この辺りは、(私はフェミニズムには詳しくはないので)翻訳する私の解釈ミスかもしれませんが。

syomu 社会, 表現規制 法規制がなくても言葉狩り、表現狩りは自粛の名のもとにかなり進みましたよね。凄い成果だ。 2009/05/10

「法的根拠がなくても、「お察し」で流通が自己規制を始めたら、その時点で実質的な絶版」というのが出版業界の現状ですし、見せしめ的な摘発や表現狩りを恐れる心理は、日本社会には根強いのだと思います。その事例として、1999年の紀伊国屋事件をまとめました。
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/264.html#id_f4013d06

font-da 「男性に人権はいらない」こ、こんなこと言ってるフェミニスト見たことないねんけど。/ていうか、日本のフェミニズム系(←こんなのがあるなら)だと、「参政権運動」はフェミニズムじゃなくて婦人運動だなあ。 2009/05/10

もちろん、有名所には、そういう事まで言う人はいないと思います。ただ、「外国人に人権なんかないのに」と追い出せデモで本音?を漏らす(http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090412/p1)、在特会という「行動する保守団体」もありますし、極論はどこにでもあります。フェミニズムは、上野教授曰く「一人一派」のようなバラバラ感なので、なんちゃってフェミニストみたいな人もいますし、フェミニズム関係の人が「そういう人も、見かける」といっていました。
参政権運動はフェミニズムではない(と私は思う)ので、そちらと合わせた整理は長くなって直接は関係ないので書きませんでした。ただ、19世紀後半の女性の参政権獲得運動を、女性解放運動(フェミニズム)の第1の波、1980年代?から続く世界規模での女性解放運動を、フェミニズム第2の波と、女性学は評価しているそうです(この辺りは詳しくないので、私の解釈や引用ミスの可能性もあるかもしれませんが)。

Cuz-orz 人権, 表現規制 表現の自由を掲げても、ポルノ規制と対立するのは分が悪い感じがある 2009/05/10

分を良くするだけなら、「児童の人権」を使ってのカウンターが有効です。
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/52.html#id_14d44558
児童ポルノ法において、創作物規制の根拠となる社会的法益説が入っているおかげで、被害児童=社会風紀を乱した犯罪者として扱われる事もあり、そういった「実在児童・被害者の人権」は無視しているのが規制派だと訴えれば効果的です。
国際人権条約の拡大解釈を根拠とした規制要求は「質問:国際法違反に対する最も厳しい制裁は何か?回答:国際法学者からの厳しい批判」というのが実際の所なので、米国政府からのガイアツ以外はスルーしても問題ありませんし、実際に最近の日本政府はスルーしている事がほとんどです。

今回の人権団体の規制の根拠は、日本国憲法14条を根拠としたものだそうですが、ここから政府に対するポルノ規制の義務を読み込むという非常識な解釈は聞いたことはないので、思想的なものがメインになっていると思います。

追記

ブコメ欄のコメント返信の追加です。

sirobu 表現の自由, エロゲ お互い感情論なのを権利の行使っていうオブラートに包んでるから難しい。 2009/05/11

ぶっちゃけ、その通りです(笑)。法律にも感情論とパワーバランスによってできたものはたくさんありますし、ポルノ規制なんかは、そのものだと思います。とはいえ、「人権団体うざい」とか「プロ市民うざい」とかだけだと建前論としては弱く、多くの人の共感も得られないので、対抗言論では理屈を考えたり、人権や権利の行使とかのオブラートに包むのだと思います。

sauvage 被言及 あ、フェミニストの謂う所に拠るとって事か。あの内容だと女性の基本的人権が無かった処から創出って事になるから先進国では失当。寧ろ社会的障壁排除の為の変革主義。過剰に扇動的な世界観だと思う。 2009/05/11

もう少し細かくいうと、19世紀後半の女性の参政権獲得運動を、女性解放運動(フェミニズム)の第1の波、1980年代?から続く世界規模での女性解放運動を、フェミニズム第2の波と、女性学は評価しているそうです。そのうちの「第2の波」の方を、他分野にも波及する人権獲得運動の先駆けみたいな感じで捉えているようです。
世界観に関しては、差別や権力構造・階級等を扱う思想の場合は、扇情的な感じになる傾向にあると思います。殆どの社会悪を米帝国主義と独占資本のせいにする(少し前の)日本共産党流の世界観や、反日左翼や人権団体のせいにする(一部の)ネット右翼流の世界観程極端ではありませんが、イデオロギーや思想に関わると、一般にも分かりやすくするためか学問的?に突き詰めた結果かは分かりませんが、そんな感じになるのかもしれませんね。

補足

山口弁護士の記事(http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2009/05/post-0c01.html)で紹介されていた、背景となる人権団体の思想などの調査。

2009-05-08 - 「反ヲタク国会議員リスト」メモ
http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/20090508

調査したブログは、創作物規制推進派の議員の幅を広くとり、人権団体嫌いというバイアスはありますが、日本の人権団体の背景調査は、結構正確な所に近いのでは?と思います。
ドウォーキンとマッキノンの位置づけの解釈については、あっているのか間違っているのか定かではありませんが、両者は極論であり、米国のフェミニズムでは主流ではないという部分だけは合っていると思います。

国籍法と「偽装認知」関連報道の推移

日本国籍取得に「胎児認知」偽装か、アルゼンチン人ら逮捕へ 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090508-OYT1T00027.htm

先日「胎児認知」が発覚して、再び国籍法改正案について話題になったので、報道量という観点で書いてみます。まず、本件事案のポイントは記事にかぎ括弧で括られている「胎児認知」という点であり、これは2008年の国籍法改正によって出来るようになった事ではなく、1985年の国籍法改正時から出来た事であり、この5年間で立件件数が5件と極めて限られたものです(「氷山の一角」ではなく、純粋に「偽装認知」自体が少ないといって良いと思います)。


「偽装認知」関連で話題になるのもこれで3回目なので、報道量と関心の推移を見てみます。
まずは、昨年の改正までの報道量。「全く報道されていない・隠されていた」というのは間違いで、重要法案としては扱われませんでしたが、普通の法案よりは報道されています。mixi日記で取り上げた数は、正確な数は数えていませんが、国籍法改正反対コミュ二ティ(http://mixi.jp/view_community.pl?id=3816028)の参加者数が短期間で5,000人を超えた事から分かる通り、かなりの数がありました。

改正国籍法関連の新聞報道
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/17.html
朝日新聞は11月4日の閣議決定と採決の他計8回報道しています。
読売新聞は8月17日から順を追って国籍法改正問題を11回報道しています。
毎日新聞閣議決定とその後、15回報道しています。
産経新聞違憲判決の時と閣議決定の時しか報道していませんが、ネット上で偽装認知問題と絡めて騒がれだしてから18回記事を掲載して社説も出しています。
日経新聞も7月20日から8度に渡って報道しています。
公明新聞違憲判決後、6月6日から11回に渡って取り上げています。

次に、今年の2月13日の中国人夫婦による「偽装認知」発覚後の状況。日経以外の五大紙が報道していますが、胎児認知なのに改正国籍法を連想させるような記述があるなど、知識に混乱がある報道も多く見られました。その事も影響して、mixi日記で取り上げた数に関しては、正確な数は忘れましたが、数百くらいあり、かなりの数が「偽装認知」というキーワードに反応して、「胎児認知」という箇所は忘れられていました。

2月13日に発覚した「偽装認知」関連報道
朝日新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/1026/TKY200810260169.html
読売新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090213-OYT1T00468.htm
毎日新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://mainichi.jp/kansai/news/20090213k0000e040072000c.html
産経新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090213/crm0902131246013-n1.htm
ニュース超速報
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://turenet.blog91.fc2.com/blog-entry-3242.html

最後に、先日(5月9日)の偽装認知発覚後の状況。報道は読売・産経・共同通信と減って、(前回での「生後認知」と「胎児認知」の混乱の経験からか)タイトルにわざわざ「胎児認知」とかぎ括弧付きで記したものです。この状況になると、mixi日記で取り上げた数に関しては、わずか8件と激減しています。

先日発覚した「偽装認知」関連報道
読売新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090508-OYT1T00027.htm
産経新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/kanagawa/090508/kng0905081333000-n1.htm
共同通信
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009050801000347.html
mixiニュース
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=829733&media_id=20

という事で、時間の経過と共に純粋に関心が薄れていくという要素も大きいとは思いますが、これまでの経験を参考にして、間違いそうなポイントを正確に抑えた報道がされるようになれば、色々な所が改善されていくのではないかと思いました。

創作物への表現規制と人権の関係

実際に性犯罪が増えるか減るかは(あまり)問題じゃないんだってば - Chambre Resonnante
http://d.hatena.ne.jp/yuuboku/20090508/1241809239

児童ポルノ法や表現規制の本質を突いたものだと思うのと同時に、こういう人権団体の要求が出てくると「人権」嫌いな人も増えそうなので、書いてみます。

女子差別撤廃条約の背景となっているフェミニズムの思想・運動というのは、簡単にいってしまうと「女性にも人権があることを認めるべきだ」というものです。「成人男性に人権があるのなら、成人女性にも人権が認められてもいいんじゃないのか?」 という疑問から、人権獲得運動(参政権等を含む)の一つとして出てきたのが、フェミニズムの出発点です。
フェミニズムの運動は80年代から一定の成果をあげ、「女性の人権」の認められる範囲は拡大されてきました。
それに伴い、「女性の人権」という「人権が与えられる人間の範囲」が広がると、今度は「子供にだって人権があるのではないか?」「障害者にだって人権があるのではないか?」というように、「人権が与えられる人間の範囲」を広げてくれ、という声は上がってきます。性的自己決定権の確立、虐待されない権利、教育を受ける権利……などの各種の「権利」が、健常者である大人だけではなくて、子供や障害者にも与えられていいのではないか?という考え方です。

創作物規制を含めた「児童ポルノ法」の大義名分は「子供の権利」ですが、社会学にせよ法律学にせよ、歴史的な経緯というのは、現在の現状に影響していますから、世界的にも日本一国で見ても、「子供の権利拡大」に向けた動きは、フェミニズムの興隆との関係を抜きにして語る事は難しくなっていると思います……という所までが、女性学を学んだ人から聞いた基本的な理解です。


今回の場合、リンク先のエントリーにある通り、規制推進側は「女性差別の思想がある創作物を出版させるような価値観をつぶしたい」というのが本音と見て良いと思います。この辺り、児童ポルノ法規制の中心団体であるECPATの代表が国会で「法律による教育効果」を主張するのと似ていると思います。
しかしながら、ここでぶつかってくるのが、「思想・良心の自由」という憲法的価値観です。思想・良心の自由は、個人の内面にとどまる限りは無制限に保障される。しかしながら、自分の権利を行使することで、他者の人権を害することは許されない。これが人権の理念であり、日本国憲法は、この理念を支持しています。フェミニズムは、「女性にも人権があることを認めるべきだ」という権利獲得の運動です。それゆえ、本来のフェミニスト日本国憲法の人権の概念・理念に従うようです。


という事で、今回の問題の場合、同じ「フェミニスト」に分類される人の間でも、対象となるゲームや背景となる思想は大嫌いであるという事は共通していますが、本来のフェミニストの場合は(そういう趣向の人の人権も尊重するので)ゾーニングの徹底と人権教育の普及などを希望し、「自分が差別だと思う思想は社会から無くすべき」「男性に人権はいらない(追記:内輪での本音の話で)」という急進派などが(女性向けのBLゲームとか801漫画にあるレイプとか獣姦はスルーして)規制を主張するという傾向にあります。
後者の人達は、本来のフェミニストから見て、そういう人達がフェミニストの信頼をなくしていって、日本で「人権」が嫌われるようになっていく要因なんだろうなーと思われているようですが、どこの界隈にもそういう人はいて、目立つのはそういう人達だそうです。

追記

ブコメ欄でのコメントに関しての補足などを書きました。
http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090510/1241936913

補足1:犯罪の増加〜などの建前論が語られる理由

今回の場合は事後の販売禁止要求ですが、それ以外にも創作物規制の要求もあります。創作物規制に関していえば、犯罪の増加〜といった建前論が語られる理由は、端的にいえば、こういった「特定層の不快感」を理由とした創作物規制憲法違反の可能性が出てくるからだと思います。

日本国憲法
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

憲法21条2項の「検閲」の意味については、最高裁判例が出ています。

最大判昭和59年12月12日民衆38巻12号1308頁
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070914155802.pdf
憲法二一条二項にいう「検閲」とは、 行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。 】

ポルノは「思想内容等の表現物」なのか?という議論はありますが、そのような表現物を目にして不快になり規制を求める人が出てきた事からも、「思想内容等の表現物」として捉える事が可能です。
この場合、最高裁の「検閲」の定義を引用して定義に当てはまるかの検討で「これこれだから、検閲に当たる」という論にもっていき、規制を正当化するようなデータや統計が存在しない事(その事は政府も答弁で認めています)と合わせて訴訟を行った場合、違憲判決が出る可能性があります(実際には、多大な費用と時間をかけて違憲訴訟を戦う人はいないと思いますが)。

補足2:立証責任

人権制約立法を行う場合、規制を合理化する立証責任は国もしくは規制を主張する側にあります。
詳しくはリンク先の立法事実論の項目で触れていますが、立証責任を負う側がどちらかは議論の余地がないと思います。
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/189.html#id_86c078d1

補足3:法律的な問題と強力効果論

参考資料として、「児童ポルノ法」に関連して日弁連創作物規制へのスタンス、強力効果論が否定されている事に関するWikipediaのリンクなどを張っておきます。

日弁連 - 「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」見直しに関する意見書
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/2003_09.html
児童ポルノ - Wikipedia(強力効果論の否定)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E#.E5.BC.B7.E5.8A.9B.E5.8A.B9.E6.9E.9C.E8.AB.96

国籍法に関する基本的事項など

日本人って何だろう - K3 The Alternative
http://d.hatena.ne.jp/k3alt/20090501/1241148995

上記記事のコメント欄で、トンデモな解釈が主張され、それで納得してしまっている人もいたようなので、ちょっと書いてみます。
各国の国籍法における考え方は、おおまかに分けて「血統主義」と「出生地主義」があります。「血統主義」は自国民の血が繋がっている子供は自国民とする考え方で、「出生地主義」は、両親の国籍に関わらず自国の領土内で生まれた子供は全て自国民とする考え方です。

生地主義は米国等の多民族受入型の移民国家に見られ、日本を含むアジア諸国の多くは血統主義を採用しています。日本の場合、1985年以前は父親が日本人の場合に子供に日本国籍を自動取得させる「父系血統主義」が採用されていて、1985年の国籍法改正により、父親もしくは母親が日本人の場合に、子供に日本国籍を取得させる「父母両系血統主義」が採用されるようになりました。


血統主義」と「出生地主義」は国籍立法における考え方としての優劣はなく、それぞれ一長一短ですので、どちらかが「先進的」であるという事はありません。 「血統主義の弊害」を解消するために「出生地主義」を採用した場合でも、新規に出てくる弊害も大きいので、ある問題(在日コリアンの国籍問題等)をピンポイントに解決するためには適切な手段であっても、国籍立法という観点から見た場合は不適切になる事は往々としてあります。
そういった事実認識に立ち、日本の国籍法における「血統主義」は、(明石書店という左派御用達の出版社から出ている)国籍法に関する書籍でも、国籍法の専門家が「血統主義」を「出生地主義」に変更するのは憲法改正に匹敵するレベルの国民的合意が必要で、改正は無理と書いている場合もあり、原則そのものの変更は現実的ではないと認識されていると思います。


なお、日本は原則的には「血統主義」を採用していますが、日本で生まれた子供を無国籍にしないために、「父母がともに知れないとき、または国籍を有しないとき」に限って、その子供は日本国籍を取得できる「出生地主義」が限定的に採用されています。日本の国籍法における「血統主義」に関しても、純粋な意味での「血統」に拘って採用しているのではなく、国籍立法における考え方として「出生地主義」と比較した場合に適切だから採用しているという要素が大きく、日本の伝統や実態とのズレも生じています (日本の国籍法上の「血統主義」という言葉の正確な所や日本の伝統的な家族関係の多様性については、リンク先を参照して下さい)。

日本の国籍法上の「血統主義法務省の国会答弁
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/101.html#id_e869e69e
参議院議員 松浦大悟 オフィシャルサイト 「法に退けられる子どもたち」
http://www.dai5.jp/cgi/blog2/blog.cgi/permalink/20081202232743


ちなみに、国籍立法における考え方として、「出生地主義」の方が優れているという事がないのと同様、「血統主義」の方が優れているという事もありません。そのため、冒頭に引用した記事のコメント欄で主張されている「外国人の国籍の確認は電話やメールで即時に可能になっているため、出生地主義を主軸にしていく必要性自体が薄れている」という解釈は間違いです。


「出生地主義」の採用に関しては、欧州諸国の場合は戦後の移民の増加に伴い、移民の二世・三世の政治参加・在留資格・国籍取得・社会への統合をどうするか、という文脈で部分的に「出生地主義」が採用される範囲が拡大していくという傾向にあります。
但し、(国籍取得のためだけの遠征出産や不法滞在者の子供のケース等まで含めて)無制限に「出生地主義」を取り入れている国というのは先進国では米国ぐらいで、英国や豪州は、親が永住許可を得ていれば生まれた子供は国籍を自動取得、フランスはフランス生まれで一定期間フランスで暮らした外国人の子供が成人すればフランス国籍を自動取得、スペインはスペイン生まれの外国人から生まれた子供はスペイン国籍を自動取得、ドイツは一定条件を備えてドイツに定住している親から生まれた子供はドイツ国籍を自動取得するが23歳までに国籍選択の義務があるなど、その国の外国人・移民の実情に合わせて国籍取得の範囲や条件はころころと変わり、最近は国籍取得の条件は厳しい方向に改正される傾向にあります(最新の情報は確認していないので、各国での国籍取得の条件は変わっている場合があります)。


そういった前提知識を踏まえ、今度国籍法を改正する際は、「移民」とは歴史的な経緯は違いますけれども、現象としては移民と類似のもので世代としては在日四世・五世を数えるまでになった在日コリアンの政治参加や国籍問題をどうするか、それ以外の日本で生まれた外国人の子供の在留資格や国籍をどうするかといった問題が発生し、現在の代々世襲で血統によってのみ受け継がれる「日本人」と概念をどうするのかといった点が、議論になってくるのではないかと思います。

補足1

上記の問題に関する回答の一つが「国籍取得特例法案」です。国籍法の「血統主義」の基本は変えないけれども、治安維持や日本政府と韓国政府の都合のために割を食った在日二世やその子供達に、遅ればせながら、本人達が望んだ場合は届出だけで日本国民として迎えるといった感じの法案で、2001年と2008年に法案提出に向けた動きがありました。

国籍取得特例法案 - Korean Japanese
http://blog.goo.ne.jp/korean-japanese/e/2321c3b99b01d537d1dd71f32473fb35
参政権行使は国籍取得が条件−特別永住者には特例帰化制度導入を ≪ 一般財団法人 国家基本問題研究所
http://jinf.jp/suggestion/archives/103
在日コリアン日本国籍取得権確立協議会
http://members.jcom.home.ne.jp/j-citizenship/

補足2

二重国籍による外交的保護権問題を無くすため、国籍要件は厳しくしていこうというのが国際法の流れ」というのはないと思います。重国籍は、違法に重国籍の権利を使用する人が相当数いる事、重複旅券を使用して各国の入管管理の支障になっている事、本国に税金は払わずに権利を要求する重国籍者のために税金が使われると国民から多大な不満が出る事などが問題視され、日本の法務省も「二重国籍者が属する各国の権利・特権を行使し得ることは、日本の国籍のみを有する通常の日本国民との間に、法律上の不公平を生ずる」という事が反対理由の一つになっていますが、「外交的保護権との関係」でいえば、外交的保護権は個人の権利ではなく国家の権利に属し、その衝突も、現実の問題というよりは、法理論上の問題になっています。

国籍法改正の流れ

国籍法に関する基本的事項など - 雑記帳(前回記事)
http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090503/1241303475

国籍法について調べる際に必要な事は、これまでの改正の流れを把握する事だと思います。
日本の国籍法に関していえば、国籍法は戦後2回改正されました。一度目が1985年・2度目が2008年で、キーワードとしては「女子差別」と「非嫡出子差別」というものになり、それぞれの変更点は、以下の通りになります。

国籍法の改正点
当初
・重国籍の削減のため、「父系血統主義」を採用(当時は、世界中の多くの国が「父系血統主義」を採用)
1985年改正時(女子差別撤廃)
・「父系血統主義」→「父母両系血統主義」への変更
・出生によって重国籍になった子供に22歳まで、成人は重国籍になってから2年以内に国籍を選ばせる「国籍選択制度」の導入
・外国人母の非嫡出子の国籍取得に際し、父母が結婚していれば日本国籍の取得を認める(国籍法3条1項)
2008年改正時(非嫡出子差別撤廃)
・外国人母の非嫡出子が、父母が結婚していなくても届出をすれば国籍取得できる

1985年の改正時の事に言及すると、それまで日本では「父系血統主義」を採用していたため、外国人と結婚した日本人女性の子供は日本国籍を取得できませんでした。そのため、(国籍法に出生地主義を採用している)米国人の父と沖縄の日本人女性の間に生まれた子供がどこの国の国籍も取得できない事、国際結婚をした日本人女性の子供には日本国籍が継承されない事が問題視されました。
世界的な流れとしても、フェミニズムの興隆に伴う人権運動(女子差別撤廃)というものがあり、各国で女子差別撤廃条約に合わせて国籍法が改正される流れがありました(詳しくは、下の囲み記事の年代を参照)。そのような背景を受け、日本でも1985年に「父系血統主義」→「父母両系血統主義」の改正を柱とする国籍法の改正が行われました。

国籍法に「血統主義」を採用している国で、父系血統主義から父母両系血統主義になった国(変更年)
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/219.html#id_39f0971c
旧西ドイツ 1974年
スイス 1978年
デンマーク 1978年
スウェーデン 1979年
ノルウェー 1979年
ポルトガル 1981年
スペイン 1982年
イタリア 1983年
フィンランド 1984
オランダ 1985年
中国 1980年
韓国 1997年

この後、欧州では離婚や非嫡出子の増加という家族関係の変化、外国人移民の二世・三世の登場という変化を迎えます。それに伴い、論点は「非嫡出子差別の撤廃」「外国人の権利保障」などに移っていきますが、日本においては1990年代の後半以降は「人権」に対する懐疑派が次第に増え、ジェンダーのみならず、「人権」概念に対するバックラッシュとでも言うような現象が起こるようになってきています。


そんな中、国籍法における問題点として浮上してきたのが、外国人母の非嫡出子の場合の国籍取得の問題です(詳しくは以前作成したまとめページの方を参照)。

国籍法改正問題のまとめ
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/12.html

国内的な問題としては、専門家から差別の程度が大きいので違憲の可能性もあると指摘されている事、国際的には「児童の権利委員会(CRC)」において度々問題とされ(日本の第二回定期報告書(CRC/C/104/Add.2)に対する総括所見・2004年1月30日など)、「非嫡出子差別の撤廃」「外国人の権利保障」という今日的な論点の問題として、浮上してきました。

日本政府の傾向としては指摘や勧告を受けて法改正したり外国人の権利保障をするという方向性は取らず、国内法の整合性や国民世論からの後押しがあった場合に法改正するというものがあります。
そのため、日本政府はこの問題も自主的に法改正するという方向はとらず、違憲訴訟が起こされて裁判で5年間近く争い、その結果として違憲判決が出たのを受けて国籍法の改正が行われました(そういった背景がある法改正ですが、ネットでは大騒ぎになってDNA鑑定の導入をしないのは〜などとなりました)。


こういった国際的な人権保障の流れと国内的なバックラッシュ的な流れとが合わさり、今後の国籍法についての議論は進んでいくと思われますが、今後話題となってくるのは、重国籍問題をどう扱うか、在日コリアンの国籍取得をどうするか、それ以外の外国人の権利保障の手段としての国籍取得の条件をどうするかという問題だと思います。そういった国籍法の問題を考えるに当たっては、できれば、前回記事で書いた基本的事項などを踏まえて、落ち着いた議論がされるようになればいいなと思います。

国籍法に関する基本的事項など - 雑記帳(前回記事)
http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090503/1241303475

補足1

「国際的な流れ」に関しては、本音の所では、人権=アプリオリに正義という訳ではないのは、どこの国でも同じようなものだそうです。欧州に20年以上住んでいる人に聞いてみたら、人権(人道)は建前の世界の規範力として一定以上の拘束力はあるけれども、本音の世界では大して変わらない……といって、様々な実例が返ってきます。但し、「建前の世界での規範力が弱い」という意味において、日本の人権状況が欧州諸国に比較して劣っているという事も事実ですので、それをどう改善していくかというのも重要な点になるとも思います。
なお、保守層から見た「人権」的な流れは、女子差別撤廃条約に関わり、米国の保守的な女性団体の「人権派」の解釈を示した記事などが参考になると思います。

家族の絆を守る会・FAVS WCF(世界家族会議)関連ニュース
http://familyvalueofjapan.blog100.fc2.com/blog-entry-82.html
「家庭崩壊は、人権にとっての勝利である」と、国連人口基金(UNFPA)のリーダーが述べた。
最近行われたメキシコシティでの会議で、アリー・ホークマン(オランダのUNFPA代表)は、 離婚・婚外子の増加は、「家父長制度」に「人権」が勝利したことを表わすものであると、参加者に伝えた。
World Congress of Families(世界家族会議)のラリー・ジェイコブスは、「UNFPA国際法、及び子供や自然な家族の基本的人権を述べている世界人権宣言(UDHR)を無視している。」と述べた。
1948年に採択された国連世界人権宣言(UDHR)の16条には、次のように述べられている。
「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。」「成年の男女は、人権、国籍又は宗教によるいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する。」
ジェイコブスは次のように述べた。
「 自然な家族を壊そうとすることは、常にUNFPAグループの一番の課題に置かれてきた。彼らは、国際法・国内法を無視して、堕胎や強圧的な人口抑制に資金を提供し促進することによって、その目標を達成しようとしている。 」

補足2

昨年12月の国籍法改正の際、「DNA鑑定の義務づけ」が論点となりましたが、外国人母の非嫡出子にDNA鑑定を義務づけた場合、後に違憲判決を受ける可能性がかなり高いと思います。根拠は以下の通りで、違憲判決を受けるような立法を行う事は考えずらく、これをもって法務省が「反日」であるという言説は間違いだと言えると思います。

「DNA鑑定義務づけ」に関する法律的な検討
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/133.html#id_ced93262
①今現在は偽装認知の立件件数は5年間で4件と、人権制約を合理化する立法事実がない
②諸外国の立法例としても、外国人母の非嫡出子の国籍取得の場合にDNA鑑定を義務化したものは無い
③日本の家族法民法)の場合、生物学上の親子関係までは求めておらず、そういった法体系の中で外国人母の非嫡出子の場合にのみDNA鑑定を義務化した場合は、法体系としての整合性が取れなくなる
④創設的・授権的規定(国籍取得の際、外国人母の非嫡出子の場合だけ純正要件を必要とする)と制限的規定(DNA鑑定の義務化)では、違憲性を審査する際の基準が違う
⑤従来は憲法14条1項後段の「人種、信条、性別、社会的身分または門地」は例外的規定であり特に意味はないとされてきたが、国籍法違憲判決では社会的身分である事を理由に「慎重に審査する必要がある」と言及されていて判例変更された可能性が高く、その射程はDNA鑑定の義務付け(社会的身分による差別)にまで及ぶ可能性も高い