創作物への表現規制と人権の関係

実際に性犯罪が増えるか減るかは(あまり)問題じゃないんだってば - Chambre Resonnante
http://d.hatena.ne.jp/yuuboku/20090508/1241809239

児童ポルノ法や表現規制の本質を突いたものだと思うのと同時に、こういう人権団体の要求が出てくると「人権」嫌いな人も増えそうなので、書いてみます。

女子差別撤廃条約の背景となっているフェミニズムの思想・運動というのは、簡単にいってしまうと「女性にも人権があることを認めるべきだ」というものです。「成人男性に人権があるのなら、成人女性にも人権が認められてもいいんじゃないのか?」 という疑問から、人権獲得運動(参政権等を含む)の一つとして出てきたのが、フェミニズムの出発点です。
フェミニズムの運動は80年代から一定の成果をあげ、「女性の人権」の認められる範囲は拡大されてきました。
それに伴い、「女性の人権」という「人権が与えられる人間の範囲」が広がると、今度は「子供にだって人権があるのではないか?」「障害者にだって人権があるのではないか?」というように、「人権が与えられる人間の範囲」を広げてくれ、という声は上がってきます。性的自己決定権の確立、虐待されない権利、教育を受ける権利……などの各種の「権利」が、健常者である大人だけではなくて、子供や障害者にも与えられていいのではないか?という考え方です。

創作物規制を含めた「児童ポルノ法」の大義名分は「子供の権利」ですが、社会学にせよ法律学にせよ、歴史的な経緯というのは、現在の現状に影響していますから、世界的にも日本一国で見ても、「子供の権利拡大」に向けた動きは、フェミニズムの興隆との関係を抜きにして語る事は難しくなっていると思います……という所までが、女性学を学んだ人から聞いた基本的な理解です。


今回の場合、リンク先のエントリーにある通り、規制推進側は「女性差別の思想がある創作物を出版させるような価値観をつぶしたい」というのが本音と見て良いと思います。この辺り、児童ポルノ法規制の中心団体であるECPATの代表が国会で「法律による教育効果」を主張するのと似ていると思います。
しかしながら、ここでぶつかってくるのが、「思想・良心の自由」という憲法的価値観です。思想・良心の自由は、個人の内面にとどまる限りは無制限に保障される。しかしながら、自分の権利を行使することで、他者の人権を害することは許されない。これが人権の理念であり、日本国憲法は、この理念を支持しています。フェミニズムは、「女性にも人権があることを認めるべきだ」という権利獲得の運動です。それゆえ、本来のフェミニスト日本国憲法の人権の概念・理念に従うようです。


という事で、今回の問題の場合、同じ「フェミニスト」に分類される人の間でも、対象となるゲームや背景となる思想は大嫌いであるという事は共通していますが、本来のフェミニストの場合は(そういう趣向の人の人権も尊重するので)ゾーニングの徹底と人権教育の普及などを希望し、「自分が差別だと思う思想は社会から無くすべき」「男性に人権はいらない(追記:内輪での本音の話で)」という急進派などが(女性向けのBLゲームとか801漫画にあるレイプとか獣姦はスルーして)規制を主張するという傾向にあります。
後者の人達は、本来のフェミニストから見て、そういう人達がフェミニストの信頼をなくしていって、日本で「人権」が嫌われるようになっていく要因なんだろうなーと思われているようですが、どこの界隈にもそういう人はいて、目立つのはそういう人達だそうです。

追記

ブコメ欄でのコメントに関しての補足などを書きました。
http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090510/1241936913

補足1:犯罪の増加〜などの建前論が語られる理由

今回の場合は事後の販売禁止要求ですが、それ以外にも創作物規制の要求もあります。創作物規制に関していえば、犯罪の増加〜といった建前論が語られる理由は、端的にいえば、こういった「特定層の不快感」を理由とした創作物規制憲法違反の可能性が出てくるからだと思います。

日本国憲法
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

憲法21条2項の「検閲」の意味については、最高裁判例が出ています。

最大判昭和59年12月12日民衆38巻12号1308頁
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070914155802.pdf
憲法二一条二項にいう「検閲」とは、 行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。 】

ポルノは「思想内容等の表現物」なのか?という議論はありますが、そのような表現物を目にして不快になり規制を求める人が出てきた事からも、「思想内容等の表現物」として捉える事が可能です。
この場合、最高裁の「検閲」の定義を引用して定義に当てはまるかの検討で「これこれだから、検閲に当たる」という論にもっていき、規制を正当化するようなデータや統計が存在しない事(その事は政府も答弁で認めています)と合わせて訴訟を行った場合、違憲判決が出る可能性があります(実際には、多大な費用と時間をかけて違憲訴訟を戦う人はいないと思いますが)。

補足2:立証責任

人権制約立法を行う場合、規制を合理化する立証責任は国もしくは規制を主張する側にあります。
詳しくはリンク先の立法事実論の項目で触れていますが、立証責任を負う側がどちらかは議論の余地がないと思います。
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/189.html#id_86c078d1

補足3:法律的な問題と強力効果論

参考資料として、「児童ポルノ法」に関連して日弁連創作物規制へのスタンス、強力効果論が否定されている事に関するWikipediaのリンクなどを張っておきます。

日弁連 - 「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」見直しに関する意見書
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/2003_09.html
児童ポルノ - Wikipedia(強力効果論の否定)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E#.E5.BC.B7.E5.8A.9B.E5.8A.B9.E6.9E.9C.E8.AB.96