教育問題に関して(後編)

日教組を叩きたがる人たち - さだまさとの日記
http://d.hatena.ne.jp/sadamasato/20090913/1252865485
教育問題に関して(前編) - 雑記帳
http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090914/1252942858
教育問題に関して(中編) - 雑記帳
http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090916/1253112967

前回の続きです。これで最後の記事になって、以降はこの枠組みでの議論は終了です)。

仕切り直し

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090916/1253136664
日教組が行うべきは失敗に対応する改善であって、関係ない制度を維持することではないだろう。seijigakuto氏も、「失敗している教育政策の片棒を担ぎながらも責任をスルーしている」ことが問題と思えば、それ自体を批判すればいい。話題から連想しただけの意見ならば、それと明記すべき。無関係な苦労を負わせれば、むしろ失敗を解決へ導く手間や時間を奪うばかりだ。

ご指摘はその通りです。元々、私はマクロの教育政策が関心分野で、ゆとり教育と階層に伴う学力・意欲格差を論じたいので、ネオリベ問題がメインです。日教組に関しては、ブコメをつけたら色々言われて、その関係で説明しろといわれたからその枠組みで論じていますが、次以降の記事は本来の関心事に戻らせていただきたいと思っています。文言と論法の叩きあいはしたくないので、「組織防衛〜」などは撤回し、仕切り直しをさせていただきたいと思います。


仕切り直しの本論の方ですが、当り前の事として、教育行政の責任の半分以上は文部科学省自民党にある事も確認しておきます。その上で議論を進めますが、主要な論点は以下になります。
(1)教員免許更新制度に絡む問題で、運用変更や改善のための法改正ならば、目的である教員の資質向上と真面目な教員の負担軽減も図れるが、社会から教員の資質向上と自己改革能力が求められている中「廃止ありき」という選択肢を採用する事(教職員大学院は、教員免許更新制度の項目で説明)
(2)教員免許更新制度の廃止に代わっての教員の資質向上の代替案としてあげられている「日々の研修」だが、46協定の内容やその後の対応を見る限り、日教組が教員の資質向上だけを目的に真面目に研修を行うという信頼性は保障されていない。

また、「責任」とまではいかないので本論からは除外しますが、「(自己改革能力を示す)努力の推奨」といった程度として、資質の向上と自己改革能力が求められている理由も述べておきます。
(3)ゆとり教育導入は文部科学省自民党が責任の半分以上があるが、日教組にも一定の責任はある事(http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090916/1253112967
(4)公立学校への信頼性は大きく低下しているが、その中には教員の質・自己改革能力への疑問が大きな要素となっている事。そういった保護者の不満を和らげるために「公立学校選択制」という私立進学とは違った新自由主義的な「脱出オプション」が広がりを見せているが、これには教育環境の悪化を含む問題が含まれている事。選択肢としては、「公立学校選択制」を拡大してより幅広い層に「脱出オプション」を確保するか、教員の質・自己改革能力を社会に示すかのどちらかが求められている事。

(1)教員免許更新制度と不適格教員の問題

元々、教員免許更新制度というのは、指導力不足の「不適格教員」に対処するために作られた制度でした。問題となる不適格教員ですが、具体的にどの位の水準かという事を説明します。教員の人数は、管理職78,000人、指導教諭174人、一般教員97万人となっています。このうち、指導力不足を原因として依願退職が検討されるレベルの教員に関しては、指導力不足教員として506人存在し、その内訳は現場復帰が116人、再研修・次年度が259人で、分限・依願退職等131人です。

97万分の506という指導力不足教員の数字、97万分の131という分限・依願退職の数字は教員全体の0.1%にも満たない数字です。これに認定されるための基準がどの程度かについては、以下の記事があります。

「三角形は曲線」大阪市指導力不足教員を分限免職-教育ニュース - 教育情報サイトeduon!
http://eduon.jp/news/agencies/20080108-000232.html
 大阪市教育委員会は8日、指導力不足で研修を受けていた養護学校の男性教諭(43)を、指導力不足として分限免職処分にした。市教委が指導力不足による分限免職処分を行ったのは平成16年から」で5人目。
 男性は勤続20年のベテラン教諭で、市立中学校を経て養護学校に14年間勤務していた。特別支援学校では科目ごとの専任ではなく幅広い指導領域が求められる。
 市教委によると、教諭は授業で「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」と間違った説明をする、授業で漢字の誤りなどを繰り返し、誤りを指摘されても修正しないなど問題が多く、昨年1月から1年間校外研修を受けていたものの、授業の講評でも「言い過ぎだ」などと度々指導員に反論、席を立つなど改善が見られなかったという。
 分限免職処分は、懲戒免職とは異なり、退職金の受け取りができる。

現職の教員の方々に関しては、現場で真面目に頑張っている方が多数だと思いますが、「教員の質」に関しては上下の差が激しく、上記のような教員でも20年は教員を続けられて再研修というバッファーがあるような環境です。

この問題に対処するための施策として出てきたのが、教員免許更新制度です。但し、現在運用されている教員免許更新制は、導入を要求した側から見れば、完全に骨抜きにされた制度です。元々、教員免許更新制導入の動機は、顕在化していない不適格教員の排除であり、それに付随する効果として、教員の資質向上が見込まれるというものでしたが、これが導入の過程でひっくり返されており、導入を目論んだ側にしても大いに不満の残る制度であるというのが現在の状況です。教員免許更新制を巡ってはこういう状況にあるため、いざ、批判する段階になった時、その批判のあり方が違ってきます。元々免許更新に賛成の側にしてみれば、自分達の求めた制度では無い→自分達の求めた制度に変えろという批判になるのに対して、免許更新に反対の立場にしてみれば、制度そのものがおかしい→制度を止めろという批判になり、同じ批判であってもそのあり方が全く変わってきます。

また、現行の教員免許更新制度に関しても、批判一色ではありません。

福井のニュース:政治・行政 〜選挙後どうなる「教員免許更新制」 自・民の方針正反対〜 福井新聞
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news2/article.php?storyid=8230
19、20の両日、福井市の福井大文京キャンパスで行われた必修講習「教育実践と教育改革」。受講した101人は5、6人ずつのグループに分かれ、教員生活を振り返り、児童生徒の指導で大切にしてきたことなどを披露し合った。「あいさつをしっかりさせることが大切」「他の生徒を引っ張っていくような子どもを育てたい」。それぞれの思いを語り合い、耳を傾け合う教員の姿が見られた。
 講習を担当する同大の長谷川義治教授は「単なる座学ではなく、グループ討議形式を多く取り入れた」と説明。更新講習受講者は年齢も違い、主な勤務が幼稚園、小学校、中学校、高校のどこなのかも異なる。それぞれの経験を受講者同士共有し、参考にしてもらう狙いだ。
 ある女性小学校教員(53)は「講習内容に工夫があり、参考になることが多かった。いろいろな研修を受けるのは良い刺激になる」。男性中学校教員(45)も「民間企業に勤務する人は常に勉強している。教員が最新知識を得ることは必要」と前向きにとらえる。
 ただ教員の間には「新たな負担増になる」と批判があるのも事実。「夏休み期間とはいえ、部活動・補習などの学校活動や、研修、出張などの業務もある。受講期間は同僚に代わりをお願いしなければならない」=男性中学校教員(33)=との声は少なくない。受講料約3万円の自己負担にも不満が聞かれる。

上記のように、負担を嫌う意見と平行して「民間企業に勤務する人は常に勉強している。教員が最新知識を得ることは必要」とする意見もあり、佐藤学氏のような一流の教育実践研究者の講義などは大人気で評判も上々です。

問題となっているのは、使いずらいシステムであり、ここをどう変えるかについてについては(1)運用変更(2)法改正をしての運用変更(3)廃止の3種類があります。
(1)に関しては、現在のものから、文部科学省令を変えて施行規則を弄るだけで、単位制にする事、「実績」や「外部評価」を単位にして、真面目にやっていて能力に定評のある教員は、30時間の研修を受けなくてもいいようにするなどの運用変更は可能です。
(2)に関しては、以前提示した「普段の教師に対する評価(査定)を用いる方法(保護者・子供・同僚・管理職などによって複合的な評価(相対評価より絶対評価の方が望ましい)を行い、その内、著しく低い評価を連続して叩きだした教員(3年連続とか、5年の内3年とか)には退職してもらう)」、全日本教職員組合連盟という右寄りの組合が提示しているもの(http://www.ntfj.net/j/pdf/191031menkyokousinsei.pdf)も、適切な運用を目的とした改善・法改正を行えば可能です。
(3)に関しては、「負担になるので廃止しよう」という事になりますが、再び教員の資質向上のためにはこの種の制度が必要となった場合に再導入を図る場合、現状を調査して問題の洗い出し→制度の設計→法案の審議・成立→制度導入の準備→導入という過程を辿らざるを得ず、少なくとも5年、再導入に向けた世論の動向次第では10年近くかかる場合があります。


ここまで説明してきたように、教員免許更新制度には、上記の3つのオプションがあり、「現在の制度の運用の問題点」以外にも、元々の問題である教員の資質向上と、社会からの不満にどう答えていくかという、自己改革能力が問われてもいます。その結果として、「運用改善」ではなく「廃止」を選ぶのは構いませんが、変わりの資質向上策として挙げられている「日々の研修」と「教職員大学院」について検討していくと、それが本当に信頼できるのか?という問題が出てきます。

「日々の研修」については後述しますが、教職員大学院も含めた教員免許制度の改正に関して説明すると、こちらは6年制に移行したくとも現状では受け皿となる教職大学院の数が全然足りず(施設としても足りないし、指導教官も足りない)、全く以って不可能という状況にあります。仮に必要な予算が確保できたとしても、それに向けた準備には最低でも5年はかかり、無理に実行すると、圧倒的な新卒教員不足という事態が起きます。教員免許更新制度自体は早ければ来年にも廃止法案が提出され、2011年度から廃止されますが、教員免許更新制度の廃止だけが先行して行われ、6年制の移行に関しては、民主党政権が次の総選挙でも勝利して続いて教員の資質問題が問われた場合……と実現する予定は「未定」という状況なのが実際です。

(2)「日々の研修」に絡んだ問題

教員免許更新制度に関して、日教組は「廃止」を主張して代替案として「日々の研修」を挙げていますが、問題としては、これを真面目にやって教員の資質向上に励むのか?という点で疑問符をつけざるを得ない点です。

それは「46協定」と呼ばれる、行政との「ヤミ協定」の発覚とその後の対応で、「日々の研修」を行うという建前を掲げておきながら、研修と名のつく組合活動をやっていたり、勤務中に仕事そっちのけで組合活動をやっているなどの事態が報告される不祥事がありましたが、それに対して自己批判も含めた過去の総括をした上での改善プランを出すなどの「自浄能力」を示す事ができなかったという点です。
「46協定」を巡っては、第150〜153回国会においていくつかのやり取りが交わされています(議事録のリンクは時間がたつと見れなくなるので直接は貼れませんが、いくつか抜粋します)。

平成12年11月2日参議院文教科学委員会
亀井郁夫君 ぜひ広島県の場合と同じように厳しい姿勢で指導していただきたいと思うわけであります。
 次から次と驚くようなことを申し上げて申しわけないんですが、大臣。次は、夏休み、冬休みのときの勤務のとり方について、これも私はいかがか思いますのでお尋ねしたいと思います。
 夏休み、冬休みの長期休業日はすべて校外研修日とするということに決めてあるわけでありまして、一回も学校に出る必要がないということが四六協定で決められております。そういうことから、夏休みの間には学校で研修会をやったりあるいは教育委員会で研修会をやるということはできないわけでございます。と同時にまた、夏休みというのが三日あるんだそうですが、これは普通だったら夏休みの中でとるんだろうと思うんですが、そうじゃないんですね。七月から九月の間に学校がやっているときに三日間必ず休みなさいということなんですね。そういうことが決められておるわけでもございます。
 そしてまた、先生が帰省する、郷里に帰るという場合は、これは自宅研修扱いになって年休届は要らないというふうな形になっているんだそうでございます。校外研修も結構でございますけれども、しかし研修という以上は研修レポートぐらいはもらっていいんじゃないかと思うんですが、聞きますと、研修項目といる場所だけ届けておけばいいんだということでございますから楽な研修ですね。そういう意味では、こういうふうなものは私は研修とは言えないと思うんですけれども、こういう事実を文部省は御存じだったのかどうなのか、もしこういうことがあるとすれば、これに対してはどう考えたらいいのか、ちょっと理解に苦しむものですからお尋ねしたいと思います。

○政府参考人(矢野重典君) 教員はその職務遂行上研修が不断に行われる必要がありますことから、教員には授業に支障のない限り校長の承認を受けて勤務場所を離れて研修を行うことが法律によって認められているところでございます。この研修は職務専念義務が免除されるのみならず給与条例上有給の取り扱いとされておりまして、このため、職務研修に準ずる内容、意義を有するものであることが求められるものでございまして、その内容や実施態様等に照らし不適当と考えられるものにまで校長が安易に承認をすることは適当ではないものでございます。
 そこで、御指摘の四六協定やそれに基づく通達におきましては、夏季・冬季休業日等を原則として職専免研修扱いとしており、校長の承認の権限が大幅に制約され、研修が法令どおりに運用されないこととなること、また研修に当たっては単に研修項目と居場所を届けるのみで足りることとされ、研修の内容や計画を確かめた上での承認とはなっていないこと、また届け出だけで職専免が認められることとなっていることなどの問題があるというふうに私どもは考えているところでございます。
 こうしたことから、文部省といたしましては、北海道教育委員会に対しまして、学校現場において職専免研修が不適切に取り扱われていないかどうかを調査するよう求めたいと考えているところでございますし、あわせて、北海道教育委員会に対しまして、夏季・冬季休業日等を含め、職専免研修の趣旨を踏まえた適切な取り扱いをするよう指導してまいりたいと考えているところでございます。

46協定と研修の兼ね合いで言えば、行政側がチェックできないので、「本当に研修しているかどうか把握できない」という馬鹿馬鹿しい問題がありました。

平成13年6月21日参議院文教科学委員会
文部省の方からの指示もありまして、今、北海道では昨年の暮れから調査を始められまして、何か段ボール箱五十箱だったそうですが、中間的にデータがまとまったということで、先日の十四日ですか、発表がございましたので、ちょっとこの内容を皆さん方に御紹介しながら、今後の問題について大臣の御意見もちょうだいしたいと思うわけであります。
 お手元にきょう配っておりますけれども、まず勤務時間中の組合活動の実態でございますけれども、不適切な扱い。例えば鉛筆年休、鉛筆で年休届を書いていって戻ったら消してしまう、だから年休を使ったことになりませんね。これが五十五校。口頭年休。校長先生、行ってきますよ、年休ですよというのが五十五校。裏帳簿をつくって管理している学校が十三校ということで、合わせて百二十三校が確認されたようでございますが、この百二十三校のうち小中学校が百十八校ということですから、ほとんどが小中学校でこういうことが行われているということでございます。ほかに、要調査の学校が三百一校、確認を必要とする学校が百九十二校ですから、六百十六校が問題だろうというふうに言われておるわけでありますが、そういう意味では大変なことが現実に行われているのが第一です。
 二つ目が、組合役員の勤務の実態でございますけれども、この前も指摘いたしましたけれども、組合の役員の人は授業数を減して出かけているケースが多いわけでございますけれども、この調査でわかったのが、授業時間が十時間以内の者が二百四十一名。ゼロの人が何と六十三名おるということですから、少なくとも六十三名の人が学校に行って給料をもらいながら組合活動を一生懸命やっているということですね。それ以外に、不適切な勤務があるらしいという報告されたのが百二十三名で、そういうことから、三百六十四名は組合役員として勤務の実態が、まあ組合役員としては十分な活動をしておられるんでしょうけれども、教員としての勤務態度は問題があるというのが三百六十四名で、小中学校がそのうち三百名ですから、これまた小中学校が中心で、高等学校の先生は比較的まじめなんですね。
 それから三番目ですが、組合が主催する研修会への参加でございますが、これも三百六十九名が不適切に参加しているということでございまして、そのうち小中学校は三百六十七名です。これも口頭年休で二百六十名、口で、先生、年休ですよと言って二百六十名、鉛筆で書いていて戻って消すのが百八名、出張が一名ということです。それ以外に、職務専念義務免除としての研修だということで参加しているのが何と二千百七十八名いるということでございますから、全部足しますと二千五百四十七名の方々が組合へ参加するのに給料をもらいながら参加しているということでございまして、これも小中学校が二千五百十六名ということですから、ほとんどが小中学校ということでございますけれども、このように給料をもらいながら大勢の方々が組合運動をしているということでございます。
 それから、四番目が確認書でございますけれども、四六協定がその最たるものでございますけれども、北海道の教育委員会レベルでやられている確認書が三十八件、教育局のレベルで八十二件、それから市町村の教育委員会レベルでやっているのが三百八十七件、学校レベルで校長先生と分会長がやっているのが何と千六百四十五件あるそうでして、そのうちの小中学校が千五百三十二ですから、これもほとんど小中学校ですね。対象学校の場合、やっている学校が五百六十五校だそうですが、そのうち五百三十校が小中ということで、合わせますと二千百五十二件の確認書が確認されたわけであります。

上記のように、研修と名のつく組合活動をやっている教員が出たり、勤務中に仕事そっちのけで組合活動をやっている人が居たりなどの事態が報告されています。
尚、神奈川にもこうした協定があったようです。

平成13年3月8日参議院予算委員会
亀井郁夫君 次に、校外研修の乱用についてお尋ねしたいと思うわけであります。
 北海道では、夏休みだとか冬休み、休暇のとき、校外研修という形で先生方は全部家におるそうでございまして、それだけならいいんですけれども、家で校外研修していますから、学校で研修会をしようと思って出てくる必要はない、行く必要はないということでございます。二学期が始まりますと、夏休みをとっていないからという理由で今度は交代で夏休みをとるという想像もつかないようなことが行われておるわけでございますし、また教師が遠隔地の実家へ帰るときも、これも校外研修ということでちゃんと研修扱いで実家に帰るということでございますし、また勤務の日におきましても、きょうはちょっと校外研修ですからといって家に帰って在宅で研修すれば、これも校外研修ということでございます。
 そういう意味では、校外研修が非常に乱れておるわけでございますけれども、こういうことも即刻是正する必要があるということで、昨年十一月、このことについて指摘したわけでございますけれども、その後どのようになっておるでしょうか。

国務大臣町村信孝君) 委員御指摘のその四六協定におきまして、夏、冬の休業日等を原則として職専免研修扱いというんでしょうかね、要するに職務に専念するあれは外して研修扱いとするということで、これも校長の承認権限を大幅に制約しているというようなこと、これは研修が法令の趣旨にのっとり適正に運用されていない、そして学校運営等に支障が生じているおそれがあるわけでございます。さらに、帰省のような私的、極めて私的な用事について、これはもう年次有給休暇で処理するのが当たり前でございますが、給与条例上有給の取り扱いとされている職専免研修とすることについては極めて問題であります。
 そうした実態について、今、北海道教育委員会に対して同じく詳細な調査を求めているところでありまして、実態が明らかになった段階で適正に対処するように、先ほどの問題と同様厳しく指導してまいりたいと考えております。

研修を隠れ蓑にして、こういう事もやっていたようです。
上記は「政治闘争」ではなく、単なる「不祥事」です。上記のような事をやっていた団体が「時間がない」といっている訳ですが、これからは真面目に研修をやるというなら、せめて、自己批判も含めた過去の総括をした上での改善プランを出すなどの「自浄能力」を見せる必要があります。

ただ、寡聞にして、日教組が自らの行いを自己批判する形で過去の総括をしたという話は聞きません。そのため、教員免許更新制度の廃止の代替案としての「日々の研修」による教員の資質向上と自己改革能力に対する期待は、低めに見積もらざるを得ないのではないかと思います。

(3)(4)教育環境の変化と「脱出オプション」

前段までで本論は終わりますが、「教員免許更新制度」の成立自体は安部政権の独走にしろ、その背景には(安部政権の存在とは関係なしに)公立学校・教員への不信感というものがあり、これへの対処という事も視野に入れる必要があります(安部政権の教育改革をそれ以前に巻き戻しても、社会からの教員への信頼が回復する訳ではありません)。

前のエントリーや以降のエントリーで説明する「ゆとり教育」の失敗と合わせて、公立学校の教育方針や教員の質・対応に不信感をもった場合、児童の保護者としての対応は<1>参加・意見表明オプション<2>脱出オプションという2つの選択肢が考えられ、この事について教育社会学者の藤田英典教授は以下のようにまとめています。

・組織が機能不全に陥る時、顧客や成員の取る選択肢には二つの選択肢がある。一つは、当該組織から「脱出」していくという選択肢(私立や別の公立学校を選ぶ)で、もう一つは組織の内部に留まって発言権を行使し、必要と思われる改革を実施しようとする事である。
・脱出は非常に簡単かつ容易であるが、成員全体としては、個人がそれを繰り返して見捨てた公立学校システムの社会的帰結を受け入れなければならない。

なお、現在の保護者の公立学校への不満は、藤田教授によると以下の6点になると指摘されています。

1.学校の「荒れ」に対する不安(校内暴力、いじめ、学級崩壊などの問題のある学校に子どもをいかせたくない)
2.指導力不足教員への不満(教員の資質・力量・配慮・専門性に関する不満・不信)
3.学校・教師の非感応性に対する不満(子ども、保護者の言い分や要望をきいてくれない)
4.学校教育の「強制性・画一性」への批判・不満(画一的な教育を指定校制で強制的に押し付ける事への不満)
5.学校の自己改革能力に対する不信・不満(公立学校には自己改革能力がないとする批判や学校・教師の守旧性・保身性への不満)
6.醸造され増幅される不信感

日本の全児童の25%程度が在籍し、私立学校という代替選択肢が用意されている首都圏では、こういった公教育の教員の質・自己改革能力に不信感をもって、ゆとり教育&公立学校からの「脱出オプション」としての中学受験をする家庭の割合は年々増えていますが、具体的な数字と推移は以下のようになります。

首都圏の中学受験率(日能研のデータより)

入試年度 全国小6児童数 首都圏小6児童数(首都圏割合) 首都圏受験者数 首都圏児童の中学受験率
1986年 517,000 44,000 8.5%
2000年 1,326,960 308,363(23.2%) 40,100 13.0%
2001年 1,301,375 305,742(23.5%) 41,800 13.9%
2002年 1,239,194 290,560(23.4%) 40,500 13.9%
2003年 1,214,274 288,047(23.7%) 43,500 15.1%
2004年 1,217,419 293,219(24.1%) 44,450 15.2%
2005年 1,203,193 290,241(24.1%) 47,000 16.2%
2006年 1,192,343 293,775(24.6%) 53,100 18.0%
2007年 1,232,292 307,011(24.9%) 58,000 18.9%
2008年 1,182,241 295,792(25.0%) 61,00 20.6%

2000年以降の経済情勢はご承知の通り、どんどん中間層が取り崩されていって、家計に余裕がなくなっていく状況です。また、東大・京大・一橋・東工大を受験するのでなければ、中学受験の必要性はそこまではありません。それでも、ここまで「脱出オプション」を選択する家庭が増えているというのが、安部政権の教育改革を抜きにしても起きている状況です。

国民金融公庫の方のデータも載せておきますが、私立中学の授業料+塾の費用は、大学の授業料と同等以上のもので、家計への圧迫度は以下のようになります。

全国国公私立大学の事件情報 国民生活金融公庫、家計における教育費負担の実態調査
http://university.main.jp/blog3/archives/2005/10/post_586.html
2  在学費用は世帯年収の35% (本文7ページ) 
○ 世帯の年収に対する在学費用の割合は35.0%となった。
○ 世帯の年収に対する在学費用の割合は、年収が少ない世帯ほど高い。年収が「200万円以上400万円未満」の世帯では、57.3%に達している。
家計における教育費負担の実態調査 平成17年度
http://www.k.jfc.go.jp/pfcj/pdf/kyouikuhi_h17.pdf

このような状況の中、教員単位での質の向上による信頼回復は望めないので、保護者の不満を和らげるために採用されつつあるのが「公立学校選択制」という別の「脱出オプション」です。
「公立学校選択制」というのは、生徒が進学予定の公立の小学校・中学校を複数校の中から選ぶことができるという制度です。従来は子供は教育委員会が指定する学校に通学することが定められ、生徒は自分が通う公立学校を選ぶ事はできませんでしたが、1997年に文部省が「通学区域制度の弾力的運用について」という通知を出して以来、この制度を採用する自治体は増加して、内閣府が2006年に行った調査では小学校の14.9%、中学校の15.6%が導入しているという結果が出ました。

この制度のメリットとしては、(生徒数という目に見える数字が出るため)学校間の競争によって教育内容が向上する事、保護者や子供にとって複数の選択肢の中から公立学校を選べるため、自分の行きたい学校を選べ、行かせたくない学校を避けられる事が挙げられます。全国で最も制度が浸透している東京区部では、現在までに23区中19区が「学校選択制」を導入しています。保護者・生徒の満足度に関しても、墨田区が今年実施したアンケート結果によると、小中学校それぞれ85%前後の保護者が学校選択制を肯定し、2005年の内閣府調査では全国の保護者の64.8%が学校選択制の導入に賛成(反対は10.1%)するなどの支持を得ています。

但し、この制度には問題が山積みで、制度のデメリットとしては、保護者の学校選びの基準が風評(○○学校は荒れてるなど)や進学実績になってしまい、個々の学校単位では成功していて保護者の満足度が高くても、自治体の抱える公立学校全体で見ると、教員の負担増大や、子供の流出による学校間の生徒数の差の拡大、地域と学校の分断、低所得者層が住む地域の固定化、などの問題が発生してしまい、「脱出オプション」を採用する家庭の増大によって現在の義務教育を崩壊させる端緒になるのでは?などといわれています。
現在の公立中学の状況としては、藤原和博氏の学校改革で有名な杉並区立和田中の初年度を例にとると、杉並区は中学受験率が30%前後なので、金持ち、頭のいい子供を持つ家庭が公立学校を嫌ってごっそりと抜けていった結果、新入生の3割が就学援助世帯・2割が欠損家庭という状況が起こっています(和田中は藤原氏の改革によって、生徒数も生徒の学力・教員の質も大幅に改善されました)。
こういったものは、「ブライト・フライト(頭の良い子供の公立からの脱出)」「リッチ・フライト(金持ちの子供の公立からの脱出)」と呼ばれ、この現象は拡大していく傾向にあります。そして、「公立学校選択制」は元に戻そうにも、質の低い教員や問題のある学校から逃げるための選択肢が容易に与えられているために保護者からの支持率は高く、根本的な原因の国私立学校と公立学校の格差は拡大していくため、元に戻す事も難しくなっているのが現状です。

まとめと返信

ここまで長々と説明してきましたが、教員免許更新制度は来年にも廃止法案が提出されて、2011年度からは廃止される事がほぼ確実だと思います。ただ、教員免許更新制度の背景にあるのは、安部政権のイデオロギーではなく、社会からの教員の質・自己改革能力に関しての厳しい目線である事は忘れず、社会からの期待にこたえられるような努力をお願いできればと願います。
「責任」はないといって、教員免許更新制の廃止だけやって「日々の研修」に関する改革姿勢は見せないという対応でも構いませんが、その場合は、保護者からの不信感の増大と相まって、各種の弊害と合わせて「公立学校選択制」の拡大といった事が起きてくると思います。
選択肢としては、「公立学校選択制」を拡大してより幅広い層に「脱出オプション」を確保するか、教員の質・自己改革能力を社会に示すかのどちらかが求められている事を指摘して、議論を締めさせていただきます。

最後に、コメント欄にいただいたid:matcho226さんへの返信もさせていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090916/1253112967#c1253196742
疑問1
「15年の猶予を与えられて指導力の向上を図れなかった」のは教員の努力不足に由来するという論の根拠が良く分かりません。

教員の努力不足だけが原因ではありませんので、誤解を招くような表現であった事はお詫びします。
ただ、資源の制約がある事は理解していますし、改革して成果を挙げておられる方や日々の優れた教育実践を行っている方に対しての無駄な負担を押し付ける事は慎むべきで、運用の改善をもってそういった教員の方は負担の免除を図るべきだと思いますが、教員集団という単位で見た場合は、教育改革の根本的な理由となっている保護者からの不信感への対処は考えるべきではないかと思います。
「日々の研修」に関しては、それで成果を挙げている方、地域から信頼されている学校に勤めている方はそれで良いと思いますが、マクロで見た場合は、前の世代からの学力・学習時間の縮小再生産が始まっている事、階層によってその格差が拡大し、十分な学習資本をもたない若者が大量に社会に放り出され、職業に就いてからも十分な職業訓練の機会を与えられないため、訓練可能性につながる学習能力の格差拡大が深刻な問題になっている事なども合わせ認識しておいて下さればと思います。
もっとも、教員免許更新制度は廃止される事はほぼ確定しているため、あんまり意味のない議論だと思いますが。

疑問2
日教組の支持「政党」の教育政策=日教組自体が主張する教育政策=それが教師一人一人の教育に対する哲学の中央値であると考えて良いという論(教師に責任の一端があるという主張から,そう解釈しました)の「=」がなぜ「=」なのかが良く分かりません。

日教組自体が主張する教育政策=それが教師一人一人の教育に対する哲学の中央値である」とは考えていません。ただ、組織の機能面ではそうならざるを得ない建前になっていると思います。

日教組は様々な側面があり、労働組合・教育研究団体・政治闘争団体としての側面があります。日教組は一応、労働組合ですから、当然、労働者の利益を代弁しなければなりません。労働組合である日教組と「組織として見れば」労働者である教員(子どもとの関係では別です)の考え方に多少の隔たりがある事は仕方ありませんが、当の労働者である教員と労働組合の考え方が大きく隔たっており、それを肯定してしまった場合、「日教組は「誰の」利益を代弁しているのか?」という根源的な問いが提起されてしまいます。

そして、考え方の隔たりに関して、大手を振って肯定した場合、「労働組合なのに労働者と立場が違うってどういう事?誰の為に活動してるの?」 という事になって、日教組の存在価値は消滅してしまいますので、建前上はそう通すしかないのではないかと思います。