立川テント村事件とヘイトスピーチ規制に関して

この記事の内容は、表現の自由に関してきちんと勉強したら間違いである事に気がつきました。ブログ主の最新の知見の目次を張っておきますので、この記事ではなく、そちらを参照していただけると幸いです。
http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9258646738093116765/

社労士 李怜香の多事多端な日常 - マイノリティがかわいそう、じゃなくて
ttp://www.yhlee.org/diary/?date=20090412
上記記事のブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yhlee.org/diary/?date=20090412%23p01
そのメタブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yhlee.org/diary/?date=20090412%23p01

上記のメタブクマ欄で指摘をいただいたので、自分の中で整理をつけるためにまとめてみます。余り自信はありませんので、何かあればご指摘いただければと思います。


論点の要約としては
・マイノリティへのヘイトスピーチ規制を立法論として展開する場合は、立川テント村等での左翼団体の自衛隊へのヘイトスピーチ等も規制しないとダブルスタンダートになるのでは?(私)
・立川テント村事件と在特会ヘイトスピーチは法律上の争点も内容もまったくちがうので、直接ヘイトスピーチの問題として扱うのは無理がある。「迷惑」程度を共通項に両方をまとめて括るのは無理がある。(指摘された方々)


という事で、立論における主要な論点は以下の4点になります。
(1)立川反戦ビラ事件の法律的な争点(メインの争点)
→直接の法律的な争点は、刑法130条(住居侵入罪)と憲法21条(表現の自由)ですが、刑事裁判においては、メインの争点以外の解釈もそれなりに重要ではないか?
(2)立川反戦ビラ事件の法律的な争点(メイン以外の争点以外の解釈)
→「自衛隊へのヘイトスピーチ的要素が、宿舎内の人々に不安・不快感を与えた(メインの争点以外の独自の要素として考慮された)」というのはありえないのか?
(3)ヘイトスピーチ規制の根拠となる法益の解釈
→規制の根拠は「社会的法益」と決めてしまってOKか?
(4)立法論としての問題
→マイノリティへのヘイトスピーチ規制を立法論として展開する場合は、立川テント村等での左翼団体の自衛隊へのヘイトスピーチも合わせて議論する必要があるのでは?


以下、順に議論を進めていきます。

(1)立川反戦ビラ事件の法律的な争点(メインの争点)

まずは、関連項目のリンクと概要の抜粋。

立川反戦ビラ配布事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%8F%8D%E6%88%A6%E3%83%93%E3%83%A9%E9%85%8D%E5%B8%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
住居侵入罪 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%B1%85%E4%BE%B5%E5%85%A5%E7%BD%AA#.E4.BF.9D.E8.AD.B7.E6.B3.95.E7.9B.8A
刑事法上の論点
本事件においては、刑事法上、以下の3点が特に問題とされている。
・本件起訴は公訴権濫用にあたるのではないか。
・被告人らが立ち入った場所は刑法130条(住居侵入罪)が規定する「住居」「人の看守する邸宅」への「侵入」に該当するのか(構成要件該当性の問題)。
・形式的には住居侵入罪に該当するとしても、処罰するほどではないのではないか(可罰的違法性の問題)

法律上の争点としては、刑法130条(住居侵入罪)に該当するか?、また該当した場合は憲法21条の「表現の自由」の衝突というのになると思います。
問題となる「表現の自由」は憲法で保障される人権の中でも優越的地位を占めるとされていますが、芦部信喜憲法」から、関連する箇所を引用します。

表現の自由を支える価値は二つある。一つは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという、個人的な価値(自己実現の価値)である。もう一つは、言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)である。表現の自由は、個人の人格形成にとっても重要な権利であるが、とりわけ、国民が自ら政治に参加するために不可欠の前提をなす権利である(p.176)
表現の自由に規制立法は、(1)検閲・事前抑制(2)漠然不明確または過度に広範な規制(3)表現内容規制(4)表現内容中立規制、という四つの態様に大別されるが、このうち(3)と(4)については、区別する事自体に有力な異論もあるので、あらかじめその意味を説明しておく必要があろう(p.176)
・表現の内容規制とは、ある表現をそれが伝達するメッセージを理由に制限する規制を言う。性表現、名誉毀損表現の規制もこれに属するが、これらはアメリカでは通常、営利的言論や憎悪的表現(hate speechと呼ばれ、人種差別表現のような少数者に有害で攻撃的と考えられる表現)とともに、低い価値の表現と考えられ、右に例示したような政治的表現(高い価値の表現)と区別される(p.177)。

判決文に現れている直接の法律的な争点は、刑法130条(住居侵入罪)と憲法21条(表現の自由)ですが、刑事裁判においては、検察・弁護士共に、メインの争点以外にも、その事件に使えそうな証拠や法律・法解釈はとりあえず全部主張するというのが「マナー」のようですので、メインの争点以外の解釈もそれなりに重要ではないか?と思います。

(2)立川反戦ビラ事件の法律的な争点(メイン以外の争点以外の解釈)

立川テント村事件では、マスコミでは「被告がいかに普通に活動していたか、微罪逮捕であるか」をアピールしていますが、裁判認定事実だけでも、チラシには以下のような表現があります。

「復興支援は強盗の手伝い」
「殺すも殺されるも自衛官です」
「その地域の住民にとって、自衛隊死に神になります」

被告達はこういうのを「やめてくれ」といっていた自衛隊の宿舎内に投函する事も「表現の自由」として正当化していましたが、この事実の裁判における評価に関しては、以下のような弁護士の方の解釈があります。

立川自衛隊官舎ビラ撒き事件について - 元検弁護士のつぶやき
http://www.yabelab.net/blog/2006/05/17-161109.php
上記のりゅうちゃんミストラルのリンクをたどって、Assault on Toxic Confidence(防衛庁官舎ビラまき事件)を読んでみますと、撒かれたビラには
「復興支援は強盗の手伝い」
「殺すも殺されるも自衛官です」
「その地域の住民にとって、自衛隊死に神になります」
と書かれていたようです。
 正直言いまして、私もAssault on Toxic Confidenceの管理人さんと同意見です。
 あまりにも配慮がない。
 撒かれた官舎の住人の方たちがこれを読んでどう思うか。
 国の政策の当否を論じる前に、人の気持ちを考えて欲しい、と思います。
 住居侵入罪としての違法性を認めた高裁の判断の基礎には、このようなビラの内容もあったのではないかと思います。

また、一審においては、(判決は無罪ですが)検察側が公安情報に基づき、「被告人らが左翼・新左翼団体との関連があり、その団体は自衛隊海外派遣反対などの理由で立川基地内に爆発物を発射した事件など危険な事件に関与している」という立証を行い、裁判所も「過去、同団体の構成員によるやや不穏当な行動もみられる」といった範囲までですが、事実の認定を行いました。


以降は自信がないのですが、上記の解説記事の該当箇所の解釈には2つのものがあると思います。
自衛隊へのヘイトスピーチ的要素が、宿舎内の人々に不安や不快感を与えた(メインの争点以外の独自の要素として考慮された)
・ビラの内容はヘイトスピーチ的な要素は考慮されず、「表現の自由」の解釈としての内部基準(のようなもの)の認定に合致した(メインの争点の解釈の判断材料としてのみ考慮された)


後者の場合が、通常の法律的な解釈だと思います。
この解釈の場合、メインの争点である住居侵入の故意の有無を認定するには、チラシの内容を見るだけでは、故意があったか判断ができないため、過去の行動やチラシの内容を見て、故意の有無を判断すると思います。

・「派遣されたら、あなたたちは殺されてしまうんですよ。それでもいいんですか?」という純粋に感情に訴えるもの→表現の自由の行使として適切
自衛隊員に職務のボイコットやストライキを促すもの→自衛隊の派遣をしないという世論形成を可能にし、国会に訴えるということを通して政治に参加するというのが表現の自由の本来の趣旨なので、「表現の自由」の行使としては不適切

上記の違いを見極めるために、チラシの内容や左翼団体の過去の行動を裁判官も知る必要があり、検察もそれだけを目的として立証を行ったというものが法律的な解釈になると思いますが、「自衛隊へのヘイトスピーチ的要素が、宿舎内のに不安、不快感を与えた(メインの争点以外の独自の要素として考慮された)」というのは、裁判や判決文の解釈としてはありえないものなのか?という点に疑問があります。

(3)ヘイトスピーチ規制の根拠となる法益の解釈

刑事罰を科す立法を行う場合は、保護法益を定める事が必要ですが、保護法益には以下の3種類があります。
1.個人的法益
2.社会的法益
3.国家的法益
ヘイトスピーチ規制の根拠ですが、Wikipediaから引用します。

ヘイトスピーチ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81
ヘイトスピーチは他の多くの国々においても嫌悪を煽動するものとして禁止されている。これは昔からあるわいせつ物の規制と同種の論理によるものである。
ドイツ憲法では自分の意見を発する自由を保障する一方、治安を妨害するような言論の濫用を厳しく規制している。またドイツ刑法では民族集団に対する憎悪を煽動するような行為を特に禁止している。

Wikipediaの記述が正しいとした場合、多くの国でのヘイトスピーチ規制の根拠は「社会的法益」として解釈できると思います(違っていたらご指摘下さい)。
参考までに、英語版と要約や補足も入れておきます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Hate_speech
・英・仏・独・加・豪州の諸州・NZ・アイルランドあたりは「煽動・助長」という要素が入っているので、少なくとも当該諸国・諸州については社会的法益を根拠にしていそう。
・北欧は情報判断しにくいですが、ノルウェーが煽動を含んでいるほか、アイスランドは「煽動だけでなく、嫌悪を公にすることも含む」と説明されている。
※ちなみに、欧米の場合は人権NGOに「Article 19」(世界人権宣言の第19条〔表現の自由・知る権利〕を守れ、という意味だそうです)というのが有り、ここはヘイトスピーチ規制に反対するデモをやったりしているようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/ARTICLE_19
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Freedom_of_expression_organizations

これらを前提にして、元記事のid:sharouさんの分類を援用すると、規制の根拠は以下のような分類になると思います。
・マイノリティが可愛そう=人権=個人的法益
ヘイトスピーチ許容→民族対立の増進→治安悪化というスパイラル防止=社会的法益
そのような理解から、次の項目の立法論に移ります。

(4)立法論としての問題

ここまで来て、以下の最初の主張に戻ります。
・マイノリティへのヘイトスピーチ規制を立法論として展開する場合は、立川テント村等での左翼団体の自衛隊へのヘイトスピーチも規制しないとダブルスタンダートになるのでは?(片方だけ規制すべきという主張のままだと、幅広い支持を得られないのでは?)


マイノリティへのヘイトスピーチ規制ですが、人権擁護法案のように「人権」を根拠とする規制ではなく、「社会的法益」を前提とした規制の場合、立法論としては片方だけ対象にしないのはバランスが取れていないのでは?といった印象を受けたので、id:sharouさんはコメント欄で「自衛隊員がその身分の故に罵倒されていいなんてことは、あるわけないでしょう」と返信されていますが、それ以外の方にも、この点も合わせて議論を深めて欲しいなと思いました。

法解釈論と立法論 - 碁法の谷の庵にて
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200611100000/


なお、(1)〜(3)の解釈が間違っているといわれればそれまでですので、その場合についても付言しておきます。
(1)立川反戦ビラ事件の法律的な争点(メインの争点)
→「表現の自由」自体の重要性の認識が足りない、といわれれば、多分そうなのかな?と思います。自衛隊が「公人」の範囲に含まれるのかとか、「表現の自由」の中での細かい部分の判断の分かれ目は興味があるので、図書館で専門書を借りてきました。
(2)立川反戦ビラ事件の法律的な争点(メイン以外の争点以外の解釈)
→「自衛隊へのヘイトスピーチ的要素が、宿舎内の人々に不安・不快感を与えた(メインの争点以外の独自の要素として考慮された)」というのは、裁判や判決文の解釈としてはありえない、といわれればなるほどと納得します。
(3)ヘイトスピーチ規制の根拠となる法益の解釈
→こちらも欧州での規制の根拠は社会的法益ではない、人権擁護法案のようなものが趣旨といわれれば、勘違いでした、となります。
と、考えが固まっておらずにわかりずらいものですが、現時点での考えとして書いておきます。

追記

ブコメした当初は、(1)(2)部分に当たる判決文を詳細に読んでいませんでした。
その後、メタブクマで指摘されて教科書を図書館で借りてきて判決文を読んで、「(1)(2)の所での裁判の解釈はこういうのは駄目なのか?」という事での後付なので、(1)(2)は解釈として全く成り立たないのか、それともそういうのも成り立つのか?といった程度の疑問に過ぎません。


元々、(3)の法益解釈と(4)の立法論がメインで、(1)(2)はそのための材料の一つといった感じで立論の精度も低かったので、(1)(2)の解釈が苦しいとか詭弁に見えたとしたら、そういう経緯からです。

追記2

判例の解釈問題というのは、新司法試験の問題の中でも難問とされています。正確な所に近い解釈をするのは専門家でないと無理だと思いますので、素人の私だと「こういう解釈を取る余地はあるのか?」といった曖昧で疑問系のものになります。