教育問題に関して(前編)

閲覧者の方も増えたみたいなので、まとめて書いてみます。長いので、前・後編に分けます。

日教組を叩きたがる人たち - さだまさとの日記
http://d.hatena.ne.jp/sadamasato/20090913/1252865485
私的には自明なことだし、完全横入りなのであまり書きたくないが - 国士無双の名前負け日記 十三向聴くらい
http://d.hatena.ne.jp/thirteen_orphans/20090914/1252874358

トラバをいただいた日記は、上記の2つです。

議論を行う上での基本

まず、真面目に議論を行う場合の基本から。
(1)批判・反論(criticism)に対しての対応がきちんとできること(反論、抗弁、受け入れた上での自己論理の改善)
(2)違う意見に対して並立を良しとせず、妥協点を模索するか問題点の追及に勤める
→妥協点の模索を行う場合は、矛盾や妥協に対する想像力を持っている事が重要
(3)自己論理において一貫性、論理性がある事を理解できていること


次に、ウヨサヨ系の議論の特徴。
(1)議論の本質的な内容よりも、「議論の影響力」に注目する
(2)自分と違った意見を持つ人のポリティカル・バックグランウンドについての言及が中心となり、相手の「議論の影響力」を低下させるためのレッテル張りが中心になる


ウヨサヨ系に絡む「政治的意図」に関しては、真面目に反論すると以下のように周辺状況も含めて詳細に返す必要があって労力を要するのですが、参考として国籍法の時のものを引用します。

マスコミの陰謀
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/12.html#id_ac934ec9
左翼思想と法曹界の陰謀
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/44.html#id_b947eb50
国籍法とカルデロン一家問題の時の支援弁護士について。
(質問)それから、不可解なのは一外国人が最高裁まで闘うにはそれ相当のお金が必要だと思うのですが、何処かの団体のバックアップがあったのだろうと思います。
(私の返答)
まずは、一般論から。
弁護士は、民事や企業法務などの「儲かる」仕事以外に、持ち出しでボランティア的に取り扱う分野がある場合が多いです。それは刑事事件であったり、研修所や大学などでの行進育成であったり、日の当たらない人の支援だったりします。
この割合は人によって違いますが、刑事事件の場合は、自分の取扱い事件の10%程度だったら「かなり頑張っている」といわれるようですので、殆どの人はそれ以下の割合で出来る範囲でやっているのだと思います。

次に個別論になりますが、そういった日の当たらない人の支援の中で、外国人事件を趣味やライフワーク的に選ぶ弁護士もいます。
1999年にこの種の外国人事件で有名な在特一斉行動というのがありましたが、その時に集まった弁護団(弁護士)は32人で、その資金の大半が弁護士の持ち出しで残りはカンパで賄ったようです。

で、こういった疲れる反論はしたくないので率直に言いますが、私はサヨクではないですし、日本を脅かす外国の手先やネトウヨと戦う聖戦士でもないので(笑)、自民・民主・ネトウヨサヨク関係なしに、問題があると思ったり、その主張内容に賛同・擁護する点が少ない場合などは批判します。
日教組に関しては、「左翼」だから批判するのではなく、「失敗している教育政策の片棒を担ぎながらも責任をスルーしている集団」だから批判しますし、「ネトウヨの敵orサヨクの仲間だから批判しない」という行動様式はとりません。

補足しておくと、ブコメに関しては適当に感想を書いているだけの分野もありますが、真面目に議論をする場合は、法律問題はロースクール卒の人に、教育問題は教育政策を専門としている院生の人に聞いて確認を取るなどの事はしています(そして、それよりも上のレベルの議論に触れれば認識や記述は変更します)。
ウヨサヨ系の議論に関連する事は以上で、次は教員免許更新制度と日教組の関係について。

教員免許更新制度と日教組の関係

教員免許更新制の議論自体は1980年代からありますが、直接的な経緯は、教育改革国民会議の報告を受けた中教審への諮問から始まります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/010401.htm
その報告は2002年に出されました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/020202.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/020202/020202d.htm
この時は可能性の検討という形でしたが、2004年に中教審に対して導入を前提とした諮問が行われます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04102201.htm
これは一度の中間報告を経て、2006年に答申が出て、それを元に2007年に教育職員免許法を改正して導入しました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05120802.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05120802/015.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910/010.htm
これに対して、日教組は当初より反対の姿勢を示しています。

http://www.jtu-net.or.jp/2007/04/post-6.html
http://www.jtu-net.or.jp/proposal_05.html
07年の教員免許法「改正」をうけた教員免許更新制の導入(09年4月1日)に対し、教育現場から不安や不信の声が多く出されている。08年6?9月にかけて大学・法人等で試行が実施されたが、講習内容・修了認定、教職員への負担など問題点・課題が表面化している。学校現場の混乱を招かないよう、制度の分析・検証は必要不可欠である。多様な講習開設・受講機会、費用負担に関する国の支援策、講習と研修の整理・統合など、学校現場の実態に即した制度の見直しを求めていく必要がある。教職員の専門性の向上は本来、学校現場における教職員同士の学び合いなどの同僚性、自主的な研修・研究、子どもたちとの教育活動や地域・保護者とのつながりなど、日々の教育活動の中で高めるものである。免許更新制に特化するのではなく、養成・採用・研修一体となった改革が重要である。
1. 教員免許制度については、更新制を導入するのではなく、教職員の養成・研修を一体的のものとしてとらえ、十分議論すること。

民主党の有力な支持母体に日教組がある事は周知の通りですが、民主党も政策集で教員免許更新制の抜本見直しを掲げています。
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/11.html#
日教組の教育政策における思考の基盤となっているのは、いわゆる「内外事項区分論」という戦後教育界ではスタンダードな考え方です。
これは簡単に言うと、教育行政の仕事は「教育環境の整備(外的事項)」であり、「教育の中身(内的事項)」は教育に実際に当たる人々(基本は教員)が決める事であるとするものです。
民主党の政策方針がかなり忠実にこの考え方を踏襲しているのは、学習指導要領の大綱化(尚、これは教科書裁判の判例にも基づいている)や教科書採択の細分化方針、中央教育委員会設置の方針などを見れば明らかです。そして、最後の駄目押しとして、9月12日の輿石氏(日教組出身議員で参議院のボス)の発言があり、教員免許制度は廃止がほぼ確定になりました。


安部政権が導入した教員免許更新制度に関して詳しく説明すると、当初は「指導力不足」や「組合や政治活動で度重なる処分を受けた教員」が「不適格教員」の定義であり、この場合は左右対立の問題でした。導入の際には、「高校教師でありながら自分の教科の高校入試で50点も取れなかった教師」などがクローズアップされ、そういった問題意識や日教組の反対運動を背景に議論を積み重ねた結果、不適格教員の定義から「組合や政治活動で度重なる処分を受けた教員」という定義が外れ、文部科学省の方も「不適格教員を作らないようにするために強制的な研修を行わせる」という風に目的を変質させました。これが教員免許更新制度であり、現在の制度では、左右の政治思想は関係ありません。左右を問わずに、「意味がない」といっているのは、骨抜きにした現行制度ですが、この制度は運用を変更すれば不適格教員の問題に対処する事も可能です。


教員の資質改善に関しては、真面目な人は自主的に研究団体等で研鑽を積むなどの努力をしていますが、正直な所、そういう人は少数です。やる気の無い人はやっぱりやる気が無いわけで、それに対処するには、ある程度は恐怖を用いるしかないでしょうという事が、「教員免許更新」という形が採用された理由の一つです。そのため、教員免許更新制度に関係があるのは、「左翼としての日教組」ではなく、「労働組合としての日教組」です。
それを踏まえて、政治思想に関わらずに能力的な不適格教員への対処として、(1)免許更新制を維持した上で中身を変えるのか?(2)廃止するのか?という点が問われています。

ゆとり教育(のうちの「総合的な学習」)」に関しては、しつこいくらいにそれを行う教員の資質・指導力の改善が指摘され、求められ続けてきましたが、そういった教育政策は失敗に終わっておきながら、教員だけは「10年に1回、30時間程度の研修」も嫌だというのは……という事で、私の日教組への認識は「左翼としての日教組」ではなく、「失敗している教育政策の片棒を担ぎながらも責任をスルーしている集団」です。

労働組合としての日教組と教員免許更新制度」について触れると、「教員免許更新制度」に関しての日教組の力の入れ具合は、日教組のサイト内では独立したテーマとして扱われ、専用のリーフレットもあります(http://www.jtu-net.or.jp/syun0902a.html)。
民主党が政権を取る前の訴えなので柔らかい表現になってますが、労働組合を名乗る以上看過出来ない問題だというのは見ての通りで、今回の選挙の際に、組合・非組合を問わずに教員票のかなりが民主党に流れた理由がこの制度の廃止のためとされています。そして、教員免許廃止制度は選挙の見返りの最重要項目として、真っ先に槍玉にあがったのはニュースの通りです。
日教組の自己防衛に関しては、イデオロギーの問題では無く、これに対処できない場合は教員の支持を失って自己崩壊を起こす事が目に見えているので、そういった事への組織防衛という意味です。

補足

現在の「不適格教員」の定義は、以下の通りです。

2.「指導が不適切である」教諭等の定義:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/08022711/003.htm
2 「指導が不適切である」ことの認定について(第25条の2第1項関係)
 「指導が不適切である」ことに該当する場合には、様々なものがあり得るが、具体的な例としては、下記のような場合が考えられること。
 各教育委員会においては、これらを参考にしつつ、教育委員会規則で定める手続に従い、個々のケースに則して適切に判断すること。
 教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない場合(教える内容に誤りが多かったり、児童等の質問に正確に答え得ることができない等)
 指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない場合(ほとんど授業内容を板書するだけで、児童等の質問を受け付けない等)
 児童等の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合(児童等の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童等とのコミュニケーションをとろうとしない等)