教育問題に関して(前編)

閲覧者の方も増えたみたいなので、まとめて書いてみます。長いので、前・後編に分けます。

日教組を叩きたがる人たち - さだまさとの日記
http://d.hatena.ne.jp/sadamasato/20090913/1252865485
私的には自明なことだし、完全横入りなのであまり書きたくないが - 国士無双の名前負け日記 十三向聴くらい
http://d.hatena.ne.jp/thirteen_orphans/20090914/1252874358

トラバをいただいた日記は、上記の2つです。

議論を行う上での基本

まず、真面目に議論を行う場合の基本から。
(1)批判・反論(criticism)に対しての対応がきちんとできること(反論、抗弁、受け入れた上での自己論理の改善)
(2)違う意見に対して並立を良しとせず、妥協点を模索するか問題点の追及に勤める
→妥協点の模索を行う場合は、矛盾や妥協に対する想像力を持っている事が重要
(3)自己論理において一貫性、論理性がある事を理解できていること


次に、ウヨサヨ系の議論の特徴。
(1)議論の本質的な内容よりも、「議論の影響力」に注目する
(2)自分と違った意見を持つ人のポリティカル・バックグランウンドについての言及が中心となり、相手の「議論の影響力」を低下させるためのレッテル張りが中心になる


ウヨサヨ系に絡む「政治的意図」に関しては、真面目に反論すると以下のように周辺状況も含めて詳細に返す必要があって労力を要するのですが、参考として国籍法の時のものを引用します。

マスコミの陰謀
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/12.html#id_ac934ec9
左翼思想と法曹界の陰謀
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/44.html#id_b947eb50
国籍法とカルデロン一家問題の時の支援弁護士について。
(質問)それから、不可解なのは一外国人が最高裁まで闘うにはそれ相当のお金が必要だと思うのですが、何処かの団体のバックアップがあったのだろうと思います。
(私の返答)
まずは、一般論から。
弁護士は、民事や企業法務などの「儲かる」仕事以外に、持ち出しでボランティア的に取り扱う分野がある場合が多いです。それは刑事事件であったり、研修所や大学などでの行進育成であったり、日の当たらない人の支援だったりします。
この割合は人によって違いますが、刑事事件の場合は、自分の取扱い事件の10%程度だったら「かなり頑張っている」といわれるようですので、殆どの人はそれ以下の割合で出来る範囲でやっているのだと思います。

次に個別論になりますが、そういった日の当たらない人の支援の中で、外国人事件を趣味やライフワーク的に選ぶ弁護士もいます。
1999年にこの種の外国人事件で有名な在特一斉行動というのがありましたが、その時に集まった弁護団(弁護士)は32人で、その資金の大半が弁護士の持ち出しで残りはカンパで賄ったようです。

で、こういった疲れる反論はしたくないので率直に言いますが、私はサヨクではないですし、日本を脅かす外国の手先やネトウヨと戦う聖戦士でもないので(笑)、自民・民主・ネトウヨサヨク関係なしに、問題があると思ったり、その主張内容に賛同・擁護する点が少ない場合などは批判します。
日教組に関しては、「左翼」だから批判するのではなく、「失敗している教育政策の片棒を担ぎながらも責任をスルーしている集団」だから批判しますし、「ネトウヨの敵orサヨクの仲間だから批判しない」という行動様式はとりません。

補足しておくと、ブコメに関しては適当に感想を書いているだけの分野もありますが、真面目に議論をする場合は、法律問題はロースクール卒の人に、教育問題は教育政策を専門としている院生の人に聞いて確認を取るなどの事はしています(そして、それよりも上のレベルの議論に触れれば認識や記述は変更します)。
ウヨサヨ系の議論に関連する事は以上で、次は教員免許更新制度と日教組の関係について。

教員免許更新制度と日教組の関係

教員免許更新制の議論自体は1980年代からありますが、直接的な経緯は、教育改革国民会議の報告を受けた中教審への諮問から始まります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/010401.htm
その報告は2002年に出されました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/020202.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/020202/020202d.htm
この時は可能性の検討という形でしたが、2004年に中教審に対して導入を前提とした諮問が行われます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04102201.htm
これは一度の中間報告を経て、2006年に答申が出て、それを元に2007年に教育職員免許法を改正して導入しました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05120802.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05120802/015.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910/010.htm
これに対して、日教組は当初より反対の姿勢を示しています。

http://www.jtu-net.or.jp/2007/04/post-6.html
http://www.jtu-net.or.jp/proposal_05.html
07年の教員免許法「改正」をうけた教員免許更新制の導入(09年4月1日)に対し、教育現場から不安や不信の声が多く出されている。08年6?9月にかけて大学・法人等で試行が実施されたが、講習内容・修了認定、教職員への負担など問題点・課題が表面化している。学校現場の混乱を招かないよう、制度の分析・検証は必要不可欠である。多様な講習開設・受講機会、費用負担に関する国の支援策、講習と研修の整理・統合など、学校現場の実態に即した制度の見直しを求めていく必要がある。教職員の専門性の向上は本来、学校現場における教職員同士の学び合いなどの同僚性、自主的な研修・研究、子どもたちとの教育活動や地域・保護者とのつながりなど、日々の教育活動の中で高めるものである。免許更新制に特化するのではなく、養成・採用・研修一体となった改革が重要である。
1. 教員免許制度については、更新制を導入するのではなく、教職員の養成・研修を一体的のものとしてとらえ、十分議論すること。

民主党の有力な支持母体に日教組がある事は周知の通りですが、民主党も政策集で教員免許更新制の抜本見直しを掲げています。
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/11.html#
日教組の教育政策における思考の基盤となっているのは、いわゆる「内外事項区分論」という戦後教育界ではスタンダードな考え方です。
これは簡単に言うと、教育行政の仕事は「教育環境の整備(外的事項)」であり、「教育の中身(内的事項)」は教育に実際に当たる人々(基本は教員)が決める事であるとするものです。
民主党の政策方針がかなり忠実にこの考え方を踏襲しているのは、学習指導要領の大綱化(尚、これは教科書裁判の判例にも基づいている)や教科書採択の細分化方針、中央教育委員会設置の方針などを見れば明らかです。そして、最後の駄目押しとして、9月12日の輿石氏(日教組出身議員で参議院のボス)の発言があり、教員免許制度は廃止がほぼ確定になりました。


安部政権が導入した教員免許更新制度に関して詳しく説明すると、当初は「指導力不足」や「組合や政治活動で度重なる処分を受けた教員」が「不適格教員」の定義であり、この場合は左右対立の問題でした。導入の際には、「高校教師でありながら自分の教科の高校入試で50点も取れなかった教師」などがクローズアップされ、そういった問題意識や日教組の反対運動を背景に議論を積み重ねた結果、不適格教員の定義から「組合や政治活動で度重なる処分を受けた教員」という定義が外れ、文部科学省の方も「不適格教員を作らないようにするために強制的な研修を行わせる」という風に目的を変質させました。これが教員免許更新制度であり、現在の制度では、左右の政治思想は関係ありません。左右を問わずに、「意味がない」といっているのは、骨抜きにした現行制度ですが、この制度は運用を変更すれば不適格教員の問題に対処する事も可能です。


教員の資質改善に関しては、真面目な人は自主的に研究団体等で研鑽を積むなどの努力をしていますが、正直な所、そういう人は少数です。やる気の無い人はやっぱりやる気が無いわけで、それに対処するには、ある程度は恐怖を用いるしかないでしょうという事が、「教員免許更新」という形が採用された理由の一つです。そのため、教員免許更新制度に関係があるのは、「左翼としての日教組」ではなく、「労働組合としての日教組」です。
それを踏まえて、政治思想に関わらずに能力的な不適格教員への対処として、(1)免許更新制を維持した上で中身を変えるのか?(2)廃止するのか?という点が問われています。

ゆとり教育(のうちの「総合的な学習」)」に関しては、しつこいくらいにそれを行う教員の資質・指導力の改善が指摘され、求められ続けてきましたが、そういった教育政策は失敗に終わっておきながら、教員だけは「10年に1回、30時間程度の研修」も嫌だというのは……という事で、私の日教組への認識は「左翼としての日教組」ではなく、「失敗している教育政策の片棒を担ぎながらも責任をスルーしている集団」です。

労働組合としての日教組と教員免許更新制度」について触れると、「教員免許更新制度」に関しての日教組の力の入れ具合は、日教組のサイト内では独立したテーマとして扱われ、専用のリーフレットもあります(http://www.jtu-net.or.jp/syun0902a.html)。
民主党が政権を取る前の訴えなので柔らかい表現になってますが、労働組合を名乗る以上看過出来ない問題だというのは見ての通りで、今回の選挙の際に、組合・非組合を問わずに教員票のかなりが民主党に流れた理由がこの制度の廃止のためとされています。そして、教員免許廃止制度は選挙の見返りの最重要項目として、真っ先に槍玉にあがったのはニュースの通りです。
日教組の自己防衛に関しては、イデオロギーの問題では無く、これに対処できない場合は教員の支持を失って自己崩壊を起こす事が目に見えているので、そういった事への組織防衛という意味です。

補足

現在の「不適格教員」の定義は、以下の通りです。

2.「指導が不適切である」教諭等の定義:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/08022711/003.htm
2 「指導が不適切である」ことの認定について(第25条の2第1項関係)
 「指導が不適切である」ことに該当する場合には、様々なものがあり得るが、具体的な例としては、下記のような場合が考えられること。
 各教育委員会においては、これらを参考にしつつ、教育委員会規則で定める手続に従い、個々のケースに則して適切に判断すること。
 教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない場合(教える内容に誤りが多かったり、児童等の質問に正確に答え得ることができない等)
 指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない場合(ほとんど授業内容を板書するだけで、児童等の質問を受け付けない等)
 児童等の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合(児童等の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童等とのコミュニケーションをとろうとしない等)

「表現の自由」に関する目次エントリー

今現在の私の知識で特段の訂正の必要がないものをまとめました。何かの参考にでもなればと思って、貼り付けておきます。憲法入門に関しては、時系列の繋がり上、id:gkmondさんの記事にもリンクを張らせていただきました。

e-politics - 表現の自由(基本的事項のまとめ)
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/315.html
伊藤正己 憲法入門第四版補訂版 - U´Å`U
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090618/p1
上記記事を受けての「表現の自由」の補足(ハイク記事)
http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9234087845162037893
他者危害・ヘイトスピーチの基本(ハイク記事)
http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9236550760366565380
法哲学とかに絡んだもの(ハイク記事)
http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9234087934864441144
児童ポルノ法関連の問題点(ハイク記事)
http://h.hatena.ne.jp/seijigakuto/9234070184019740862

外国人問題に関して・その3(外国人政策への国民世論の影響など)

http://b.hatena.ne.jp/entry/hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-499.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-499.html

「対行政」の視点だけを問題にして、「対一般国民」向けに対話の可能性を閉ざす事の問題は少ないかのように解釈している人もいますが、これは問題のレイヤーが違うだけであり、両立しえます(こちらは「当事者」に直接のデメリットを与える話というよりも、中期的な視点ですが)。
在留特別許可は、行政(入管)と司法(裁判所)が直接の決定権限・救済権限をもっていますが、それに対して国民世論(国民感情)が与える影響力というものも存在します。

1、行政を動かす場合の例

在留特別許可の基準の変遷(http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/240.html#id_ef351b25)にも書きましたが、在留特別許可は、元々は在日コリアンという特殊な歴史的経緯を持つ「外国人」が退去強制を免れるための制度として機能していました。
それが1990年の入管法改正とそれに伴う外国人人口の増加によって、次第に許可されるカテゴリが拡大していくのですが、この中には世論の影響によって範囲が拡大していったものも存在します。

1990年以前:在日コリアンがほとんど
1990〜1999:(1)日本人又は永住者との婚姻を行った外国人(2)日本人の実子を養育している外国人がカテゴリに追加
1999以降:長期滞在で子供が中学生以上なら、一家全員在留資格なしでも許可する可能性のあるカテゴリに追加

元々「在留特別許可」という制度は、法務大臣(実質的には入管)の裁量の範囲が極めて広く、国民世論の後押しが大きければ、その裁量の範囲でもって、許可するカテゴリを裁量によって広げる事もできますし、条件から考えると微妙なボーダーラインにいる一家を許可する方に振り向ける事もできます。

その事例として挙げられるのが、1999年のAPFSというNGOが主導による非正規滞在者(不法滞在者)21名による集団出頭の際、一家全員在留資格がないケースでも許可される可能性もあるカテゴリに追加された事です。この時はマスコミによって取り上げられ、一般の国民からの賛同の署名も多数集まりました。「27万人署名運動」としてAPFSがサイトで紹介していますが、NGOと弁護士というのは「いつもの面子」であり、そういった人達の支援だけだった場合は、行政(入管)は動かず、「いつも通り」に、一家全員在留資格がない場合は強制送還という対応を行った可能性は非常に高いと思います。
「在留特別許可と一般国民の世論」という事では、今年のカルデロンさん一家の問題がありますが、カルデロンさん一家の場合は以下のような条件分岐になっています。

http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/237.html#id_796c2d2c
一家全員在留資格のない外国人家族のケースだと、以下のような基準を満たしている必要があります。
(1)おおむね10年以上の日本での在留年数
(2)日本で生まれたか、幼少の頃に来日した子供がいる
(3)その子供(長子)が中学生以上である
(4)素行が善良である
カルデロン一家の場合、
不許可裁決が出た時点→子供が小学5年生((3)の条件を満たしていない)
今現在→子供が中学1年生((3)の条件を含め、全ての条件を満たしている)

この場合の条件分岐としては、一家全員強制送還となるのが通例ですが、マスコミにも取り上げられて一般の国民からの署名が2万人近く集まったことにより、結果として子供だけは日本に残留する事ができました(一家全員残留となるまでに範囲を広げるには、国民世論の後押しが足りなかったという解釈もできます)。一家の条件分岐に関しては、担当であった渡辺弁護士も言及しています。

NPJ通信 カルデロン・ノリコ事件が語るもの 弁護士 渡辺彰悟
http://www.news-pj.net/npj/watanabe-shougo/index.html
>これまで退去強制手続上、裁決の時点で中学生ということであれば、在留が認められていた同種事案が存在した。同様に小学校高学年にまで枠を広げよと主張することの困難さは感じていたものの、中学と小学校高学年の子どもがどれほど違うのか、私にはノリコの最善の利益を考えれば、既にこの年まで到達している子どもを日本で受け入れることが、もっともノリコの利益に適うものと考えていた。

このように、(集まった署名数などの)国民世論の与える影響というものもありますので、「反日上等」を掲げて「27万人署名運動」が成功するかという点、単独の一家に対して2万人もの署名が集まった背景には、一家が地域に根ざしていて一家を残留させて欲しいと考える人が増えていた事があり、そのためには地道に説得を続ける事も大事だったのではないか?という点に思いを致せば、一般国民向けの視点でも理解しやすいのではないかと思います。

参考)
在留特別許可一斉行動について
http://www.jca.apc.org/apfs/zaitoku/zai_issei_index_j.html
「27万人」署名運動
http://www.jca.apc.org/apfs/sign27_01.html
在留特別許可の基準の変遷
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/240.html#id_ef351b25
カルデロン一家問題のまとめ
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/237.html

2、司法に影響を与える可能性

こちらは直接の担当は弁護士ですが、一般の人達の国民感情というものが影響する場合もあると思います。例えば、「児童の権利条約」等の国際人権の適用に関するものですが、現在は何十枚も書面を書いても国際人権の主張は裁判所に却下されて、その回答内容も2行ですまされてしまうのが実情のようですが、国際人権も含めた「人権」というものが生活に根づいてきて、裁判所も考慮に入れなければならないと考えるようになれば、必然的にその主張が通る確立も上がってきます。

なお、国際人権の主張が通るようになっても、「国際人権の適用がされた上で外国人の在留に関する国の裁量にどの程度の制約が加えられるか」という基本的な構図はかわりませんので、(当事者にとっては凄く大きな事ですが)今現在の、裁判での原告の勝率が1%未満で国は大した反論をしなくても勝訴できてしまうから状況から、原告の勝率が上がって国側もきちんとした反論を用意せざるを得なくなるといった位の問題だと思います。

こういった国際人権の地道な普及に関しても、「反日上等」を掲げた場合は、自民党女子差別撤廃条約・選択議定書の際の対応や、その背景となったネットでの批准反対運動を見て分かる通り、余り良い影響は与えないと思います。だからこそ、一般の人に対しても、対話の道を閉ざさずに、地道に説得していく事の必要性が出てくるのだと思います。

参考)
国際法(国際人権)の実現過程
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/334.html
女子差別撤廃条約・選択議定書の批准反対運動
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/286.html

財政問題について・その1(公共事業と社会福祉の割合)

過去、日本共産党は日本の予算構造は公共事業に50兆円・社会保障に20兆円になっていると主張していました。共産党の主張なので眉唾ものという人も多いでしょうが、財政問題というのは全体像が摑みにくく、信じている人も時々いるようなので、今現在の状況に沿って補足説明をします。2000年頃に日本共産党がそう主張していましたが、その試算の根拠は以下のようになるようです。

日本共産党知りたい聞きたい/公共事業50兆、社会保障20兆の根拠は?
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/200117_faq.html
 公共事業に使われる費用には、国の公共事業費(一般会計と特別会計)、地方自治体の公共事業費、公団や地方公営企業等の事業費がありますが、さらに庁舎建設などの施設整備費も広い意味での公共事業費に入ります。これらの総額を行政投資額といい、毎年二月ごろ発行される自治省作成の統計報告書『行政投資実績』にその額が示されています。
 一番新しい数字は、九六年度で、国と地方の行政投資額(決算ベース)は、合計で四十九兆千二百六十七億円。約五十兆円になっています。ただし、 この五十兆円は、すべて税金ではありません。公社や公団の事業費は、財政投融資資金をあて、さらに建設国債や地方債も含まれています。
 社会保障費について、国と地方の支出を包括的に見ることができるのは、毎年、国立社会保障・人口問題研究所が発表している統計資料『社会保障給付費』の中の「社会保障財源の項目別推移」です。この「社会保障財源の項目別推移」に「公費負担」の推移、つまり国庫負担と地方自治体負担を合わせた社会保障費の推移が載せられています。一番新しい統計は九七年度で、二十一兆七千五百三十三億円(九六年度は、二十一兆三千三百四億円)。約二十兆円になっています。

この試算に関しては、当時の試算も全体像を不正確に抜き出したものですが、当時の予算配分に従った検証は混乱を招くので、今現在の予算配分に基づいて説明します。
まず、「公共事業50兆円」の根拠となる「行政投資額」ですが、これは2000年当時においては50兆円近くありましたが、 今現在は小泉政権の公共事業削減方針によって、24兆1,518億円(2006年度の数字)と半分にまで縮小しています。

行政投資額の推移(単位:億円)
年度 金額 前年比
1999 447,438 3.1%
2000 413,913 △5.3%
2001 384,492 △7.5%
2002 360,073 △7.1%
2003 315,941 △6.4%
2004 272,099 △12.3%
2005 254,691 △13.9%
2006 241,518 △6.4%
出展:総務省公式サイト
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/2007/pdf/071225_1_bs1.pdf

社会保障給付についてですが、一般会計における社会保障給付費は、2007年度が21兆7828億円ですが、 社会保障給付費という支出全体でみると95.7兆円(国民所得費24.9%)になります。 この社会保障給付費は2025年度には141兆円まで増大すると想定されています(厚生労働省推計)。
一般会計における公共事業費の支出額は、以下の通りになります。

公共事業関係費(単位:10億円)
2006年 7,709
2007年 7,252
2008年 6,735

そのため、公共事業:社会保障の予算比を見ると、以下のようになります。

一般会計からの支出額に拘らずに国・地方のトータルで見る場合→24兆:95兆(1:4)
一般会計からの支出額に限定して見る場合→7兆:21兆(1:3)

上記のような数字が実際のため、統計の基準を統一すれば「欧米と比べた逆立ちした財政」というのは実態を示した表現ではなく、日本も欧米同様に社会保障に公共事業の3倍〜4倍程度の支出がされていると判断できると思います。

外国人問題に関して・その2(出入国管理行政と「反日上等」)

id:seijigakuto - inflorescencia - はてなハイク
http://h.hatena.ne.jp/inflorescencia/9236550953087150492/
自由帳で数学とか物理とか 「反日上等!」と外国人差別反対デモで掲げるのがなぜいけなかったのか
http://hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-499.html

上記のエントリーに引き続いて、共有すべき前提を述べた補足のエントリーを書きます。
支援の現場・最前線から、一般のデモ参加者にお願いした事を(私なりに)解釈すると、以下のようになると思います(よくある間違い(だと私が思うもの)には、×をつけています)。

○ 外国人排斥にNOという事は大歓迎。但し、他者支援のデモならば、自分の主張したい事よりも支援する他者の立場を考える配慮が欲しかった(支援対象の最前線にいる人達は特に立場が弱く、過激なスローガンを掲げて流れ弾が当たったら、生命に関わる場合もある)。
× 普段「反日上等」といっている人がデモに参加するのは控えて欲しい
→デモの時だけは「反日上等」のスローガンを掲げるのは控えて欲しいという事で、普段いうのは構わない
× デモ参加者にも現場並みの責任感をもって欲しい
→現場並みの責任感は求めないが、次回からは支援対象の置かれている立場を考慮に入れて欲しい

では何故、そういうお願いを出さざるを得ないのかについて、詳しく説明していきます。
「他者支援のデモならば、自分の主張したい事よりも支援する他者の立場を考える配慮をするのは普通の事」と考える方は、以降の記事を読む必要性は薄いと思います。

1、支援する対象の「外国人」のうち、最前線にいるのはどういう人達か?

いわゆる「不法滞在者」と呼ばれ、オーバーステイ、不法入国、難民申請予定→オーバーステイというパターンで日本に在留している「外国人」で、共通しているのは「ビザが無い」という事です。
このうち、難民申請予定者→オーバーステイの場合、短期のビザで来日し、日本政府の難民への厳しい姿勢を見て、申請→申請却下→退去強制という結果になる事を恐れて、申請を控えるというパターンが多いようです。日本政府の難民(条約難民)認定者数は、1982年→2008年の間の累計で508名、今年度の難民向けの予算は1億数千万円になります。

この人達の共通点は、正規の在留資格がないため、法務省(入管)の都合によって、いつでも強制送還させられる可能性があるという事です。強制送還させられた場合、難民申請予定者は帰国する国の政治状況によっては文字通り生命に関わる事になりますし、それ以外の外国人も、日本で何年も暮らして築いた生活と人的資本が全て無くなり、帰国先でかなり厳しい条件で職を探さざるを得なくなります。
支援する対象(外国人)のうち、最前線にいるのは、そういった立場の弱い人達だというのが、ここでの最重要ポイントです。

参考)
アハマーディア・イスラムの人々・難民認定の推移 - U´Å`U
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090319/p1
難民申請者数と認定者数(含インドシナ難民)の統計
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/274.html#id_f59c6e9c

2、まじめに支援しているNGOの現場での支援内容

「在留特別許可」の問題に関して、まじめに支援しているNGOの現場での活動内容を紹介しておきます。APFS編「在留特別許可と日本の移民政策」によると、転換点になったのが1999年の非正規滞在者(不法滞在者)21人による一斉出頭で、この時の手順を要約して紹介します。

(1)APFSのスタッフが出頭者の家族の生活状況についての調査を開始する。
(2)出頭するかしないかは出頭者の家族内での議論を大切にする。また、在留特別許可を得られる見込みが薄い家族には出頭を断念するように説得する。
(3)弁護士を集めて在特弁護団(最大22名)を結成する(弁護費用に関しては、当事者が払うのではなく、弁護士の持ち出しとカンパが殆どとの事です)。
(4)1999年9月1日に21名が一斉に入管に出頭する。
(5)その後、手応えを見て、第二次、第三次の出頭行動が行われる。

なお、(当たり前の事ですが)このように「当事者」のプラグマティックな利益を優先して支援を行っている団体の場合、「反日上等」などのスローガンを掲げて、法務省(入管)や自民党に目をつけられるという事は、「当事者(外国人)」に無用のデメリットを与えるだけの行為でしかないと理解していますので、余計なスローガンを振り回すような事はしていません。

参考)
在留特別許可一斉行動について APFS
http://www.jca.apc.org/apfs/zaitoku/zai_issei_index_j.html

3、自民党法務省の団体系への認識

在留特別許可の決定権限は法務省(入管)にありますが、法律上は法務大臣が決定権者ですので、政権与党の意向というものも影響してきます。その政権与党の「反日サヨク団体」に関する認識の参考として、女子差別撤廃条約・選択議定書の時の対応を紹介しておきます(http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/286.html#id_2f0fd395)。左記のリンク先のように、「反日サヨク団体」が関わっているという理由でもって、条約の批准が取りやめになるようなのが現状です。

在留特別許可に関して、直接の決定権限を持つ法務省(入管)の方はここまでの事はありませんが、(「反日」系でなくても)団体系が支援している事による不利益処分という事をした実績もあります(日本国内に強固な生活基盤が形成されたこと理由に在留特別許可を求め、2004年9月21日に長期滞在者7名が出頭した時の事例)。詳しくは参考のリンク先にありますが、普段はしない国費送還をした理由の一旦が「NGOが支援しており、スムーズな送還の妨げになる(デモや実力行使をするのではなく、裁判闘争を行う)」というもので、この内容は送還後の国賠訴訟で明らかになっています。

このように、デモや実力行使をせず、外国人のプラグマティックな利益を優先した活動をしていても、場合によっては支援対象の外国人が「人質」的に使われてしまう場合もあります。そうなった場合、著しい不利益を受けるのは最前線にいる「当事者(外国人)」ですので、まじめに支援している団体では、「反日上等」などのスローガンを掲げて、法務省自民党から無意味に目をつけられるような行為はしないはずです。

参考)
7名、国賠を決意!! APFS
http://www.jca.apc.org/apfs/event/event20050730-2.htm
国費送還されたバングラデシュ国籍6名が国賠訴訟を提起!! APFS
http://www.jca.apc.org/apfs/event/event20060227.htm

4、「圧倒的な制度の力」とは何か?

この概念については、文脈から外れてピンポイントで引用された結果、言葉だけが独り歩きしてしまっているので、正確に引用してから(私流の)解説をします。

http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/9234070411676223380
>ボクはこんな人たちの、それでもこの国にいたい、というささやかで切実な声を、法のコトバにかえて語ってきた。何百万ものコトバを、何千人もの人たちにむけて語りかけてきた。彼らに同情する人にも、彼らが増えると治安が悪化すると気軽に口にする人にも、また外国人の管理の名の下に彼らを叩き出そうとする権力をふるう人たちにも。それは、外国人の在留なんて国の裁量でどうにでもできるんだ、外国人の人権なんて在留管理制度の枠内でしか保証されないんだ、という、この国の外国人にのしかかる圧倒的な制度の力を解体するための、必死の営みだったのだ。
>「反日上等」は、この国にいたい、と願う人たちの心からしぼり出されたコトバなのか。この国の人々の心を揺さぶり、外国人にのしかかる、圧倒的な「制度の力」を解体する可能性を秘めたコトバなのか。

上記の「圧倒的な制度の力」というのは、1978年のマクリーン事件最高裁判決の判決文の影響から、「外国人の人権は在留資格の枠内で与えられているすぎない」という論理が定着し、出入国管理関係の行政訴訟においては、国側の勝率が99%以上(2006年度は252件中、勝訴確定が2件)という状況が生まれている事であり、それを背景にして、行政も外国人の在留は国が自由に決めていいんだという方向で政策決定をする現状の事です。
前述した国賠訴訟を例にとっても、日本国憲法32条には「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」とあり、これは日本人・外国人関わらずに適用される基本的人権ですが、出入国管理関係の訴訟においては、(上記のマクリーン事件の判決文の影響から)入管法憲法の上位にあるかのような思考方法がとられるため、国側が勝訴しています。

その「圧倒的な制度の力」の解体に関しては、在留特別許可を巡る基準が本格的に動き出したのは1990年の入管法改正後であり、(この問題に積極的に携わっているNGOの人数は不明ですが)在特弁護団が22名集まったという事から考えると、それだけの人が「反日上等」というスローガンを掲げずに、20年近くかけて、少しづつ動かそうと試みてきた事だと言えると思います。

参考)
マクリーン事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
退去強制手続関連の行政訴訟の現状(2008年版) コムスタカー外国人と共に生きる会
http://www.geocities.jp/kumustaka85/2009.01.032008nennbanntaikyokyousetetudukikannrenn.htm
在留特別許可の基準の変遷
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/240.html#id_ef351b25

5、現場・最前線からは何を求めていたのか?

ここまで来て最初に戻りますが、現場・最前線から求めていたものは(私流に解釈すると)以下のものだと思います(よくある間違い(だと私が思うもの)には、×をつけています)。

○ 外国人排斥にNOという事は大歓迎。但し、他者支援のデモならば、自分の主張したい事よりも支援する他者の立場を考える配慮が欲しかった(支援対象の最前線にいる人達は特に立場が弱く、過激なスローガンを掲げて流れ弾が当たったら、生命に関わる場合もある)。
× 普段「反日上等」といっている人がデモに参加するのは控えて欲しい
→デモの時だけは「反日上等」のスローガンを掲げるのは控えて欲しいという事で、普段いうのは構わない
× デモ参加者にも現場並みの責任感をもって欲しい
→現場並みの責任感は求めないが、次回からは支援対象の置かれている立場を考慮に入れて欲しい

要するに、最前線の状況は厳しいものだから、「外国人排斥反対」を掲げてデモに参加する事は大歓迎だけれども、(普段「反日上等」を掲げている人も、デモに参加する時だけでいいので)流れ弾が当たらないような配慮をして欲しいという事だと思います。対話可能な一般の人に向けた語りかけに関しては、冒頭で引用した記事(http://hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-499.html)が参考になると思います。
上記までが、関連記事や外国人関連の記事を追った上での私の解釈です。

補足・訂正

マクリーン事件と「外国人の人権は在留資格の枠内で保障されているに過ぎない」という論理の文脈で誤解を招きそうな箇所があったので、修正しました。なお、マクリーン事件の影響から「外国人の人権は在留資格の枠内で保障されているに過ぎない」という論理が定着している事は事実で、カルデロン一家の弁護をした渡辺彰悟弁護士の記事でも、その旨が言及されています。

NPJ通信 カルデロン・ノリコ事件が語るもの 弁護士 渡辺彰悟
http://www.news-pj.net/npj/watanabe-shougo/index.html
このような事件についての現段階の裁判所見解は間違っているという判断が私たち弁護士にはある。
  現在の裁判所は、1978年10月4日の最高裁判決 (いわゆるマクリーン判決)、いまから30年前の判決の枠組みに固執している。外国人の人権は、「特別の条約のない限り」 「在留資格の範囲内で」 保障されるというのである。

外国人問題に関して・その1(偏見の克服)

自由帳で数学とか物理とか 目指すべきは理不尽のない世界
http://hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-491.html
>「外国人に対する自然発生的な差別心をどう克服するか」という問題

在特会への批判や行動に関しては、「思想信条の垣根を越えて」「人間としての良識と良心」という事ならば参加を検討するのですが、準備会場で「日の丸うんこ」の旗がひるがえっていたら、即座にUターンするような人間としては、こういった問題意識ならば乗れるので、引き続いて書いてみます。
議論の筋としては、①日本在住の外国人数の少なさ②外国人(地方)参政権インパクトの少なさ③日本における「外国人」関連報道の特性④偏見の克服といった順番です。

1.そもそもの所としての、日本在住の外国人の人数

日本にいる外国人登録者の人数は、2007年のデータだと215万2,973人であり、これは日本全体の人口比にすると1.69%になります。これは他の先進諸国と比較しても極端に低い数字で、2002年のOECDの統計という古いデータですが、人口における外国人居住者の比率は、ルクセンブルク:36.0%、スイス:19.2%、ドイツ:8.9%、ベルギー:8.8%、フランス:5.6%……といった数字になっていて、欧州諸国での「外国人問題」というのは、この数字があって現れてきている問題です。
ちなみに、入管法改正前の1990年の数字だと、日本の外国人登録者数は107万5,317人で、人口比0.87%という更に少ない割合になります。

参考)
1973年〜2007年までの外国人登録者数と人口比の推移
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/274.html#id_c9cc9fae

2.「外国人地方参政権」が認められた場合のインパク

個人的には、外国人地方参政権は中立派(どちらでもいい)ですが、上記のような少人数の在日外国人(特別永住者と永住者だけが対象なので、人口比1%以下です)が地方参政権を取得したからといって、日本政治への影響力が飛躍的に増大して、外国人に都合の良い政治ばかりが行われるという事は考えずらいです。
海外での外国人地方参政権を認めた国での国民と外国人の投票率の表をリンク先にまとめましたが、だいたい外国人の投票率は、国民全体よりも10%〜40%程度の割合で低くなっています。
日本の場合は、地方政治の投票率が低いので、日本国民と在日外国人の間での投票率の格差は余り生じないと思いますが、参政権を付与された場合の外国人の投票率は上記の程度だと予想されます。

参考)
外国人地方参政権を認めている国での外国人の投票率
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/224.html#id_28004dab
外国人参政権に関する法律的な問題の解説
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/216.html

3.「外国人犯罪」や外国人関係の報道量について

上記までで、日本在住の外国人は人数自体が少ないし、仮に参政権が付与されても余り影響がない事を説明しましたが、次に問題になってくるのが、(実行者が少人数でもできる)「外国人犯罪の増加」です。
但し、これも下記のデータを見ると分かりますが、1989年→2002年の間で報道件数だけが飛躍的に伸び、実態以上に「体感治安」が悪化しているだけという事が分かります。

年次 外国人登録者数 外国人刑法犯検挙人員 外国人犯罪報道件数
1989 984,445 8,245 96件
2002 1,851,758(1.88倍) 13,077(1.58倍) 2,133件(22.2倍)

これは少年犯罪その他の類似カテゴリでも同様で、事実に基づかないイメージの拡散によって、一般人の被害者意識が増大していってしまっているという問題が指摘できます。
また、一部には、国籍法や入管法改正問題の時の報道量が少なかった事から、報道における「外国人問題の隠蔽」という誤ったイメージも広まっているようですが、参考URLの国籍法改正(年間700人程度が対象になる)の時と、入管法改正問題(200万人以上の外国人全員が対象になる)の時の報道を見れば、日本での外国人問題の報道量というのは、「外国人犯罪」以外はそんなものだという事も分かると思います。

参考)
外国人犯罪」統計と報道件数
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/199.html#id_760dec3f
国籍法改正問題の時の報道記事一覧
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/17.html
入管法改正問題の時の報道記事一覧
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/306.html

4.では、どうするのか?

こういった問題を考える枠組みや方法論は色々と提示されていますが、「差別・人権問題」に熱心で、それを中心に考える人の理論には、(私も含めた)一般人はついていけない事が多く、そのため問題自体を敬遠する人が大半になってしまっている気がしますので、現実的に可能な方法を紹介しておきます。

拝啓 チャベス大統領閣下 その4/5 - いしけりあそび
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/54094222.html
 「治安を回復する」のと「治安に対する国民の不安を解消する」のとは根本的に異なります。定住者の在留資格で滞在する外国人の犯罪が増えていないのに「外国人犯罪」に不安を感じ、ペルー人が重大事件を犯したからペルー人は危険だと考え、ましてやブラジル人やボリビア人も危ないと思う者がいるとしたら、そういう人は、ただの無知か、差別的な偏見にとらわれているにすぎません。
 社会の「不安」というのが個人の心の状態の総和であるならば、事実にもとづかない「不安」、偏見にもとづく「不安」は、各個人が、正確な知識をえて、理性的な思考を獲得するように努力することによって、みずから克服すべき問題ではないでしょうか。

上記引用部分で提示されている「事実にもとづかない「不安」、偏見にもとづく「不安」は、各個人が、正確な知識をえて、理性的な思考を獲得するように努力する」といった対応及びそれを促すような流れを作るといった程度の事ならば、難しい事を勉強する必要もなく、誰にでも誤りが明確に分かって指摘するコストもかからないため、一般人にも可能だと思いますので、まずはその辺りから始めていけばいいのではないかと思います。

参考)
2005年11月のペルー人による広島幼女誘拐殺人事件の後、ヤギ・カルロスという個人の犯罪が「南米人という集団全体」への偏見へと繋がり、それが日本で暮らす南米人に著しい不利益を与えてしまった事を指摘する、外国人関係専門の弁護士のisikeriasobiさんの記事。
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/54094217.html
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/54094219.html
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/54094221.html
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/54094222.html
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/54094224.html

立法において押さえておくべき事など

言論の自主規制をせまる「特定表現規制否認派」 - 地下生活者の手遊び
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090609/1244558464

交流がある訳でもないのでGET27さんがどのような考えをもっているのかはわかりませんが、このまま放置して規制反対派が反論できない人ばかりだと思われるのもなんなので、質問の(1)(2)の部分だけ代わりにお答えします。

踏まえるべき基本的な事項から。

1、法律的な創作物規制の枠組み

2009-06-09 - 奥村徹弁護士の見解
ttp://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20090609#1244515747
表現の自由の限界を考える時に、「殺人」と「殺人を助長する創作物」は、他者の権利侵害のあるなしの点で、分けて考えないと、頭悪いと思われますよ。対立利益が違うんですよ。こういうことがわからない人は議論に加わってはダメですよ。
 政治的見解を表明するために殺人するという場合は、そういう表現自体が重大な権利侵害だから、表現の自由の面は大幅に制約される。
 殺人行為一般を肯定するとか、助長するとか、煽動する表現の場合は、それ自体では、権利侵害はないから、権利侵害以外の理由(公共の福祉)以外の理由で制約されるとしても、表現の自由が大幅に制約されることはない。

2、法規制をする場合の、閣法と議員立法の違い

(1)閣法→「法律1行に30分、1時間費やすことなどザラ」と言われる 内閣法制局の厳しい審査を受ける。この際、憲法および他の現行法制との関係など、法律的・技術的にあらゆる角度から検証され、当該立法が合憲かどうかの厳格な審査も行われる。
(2)議員立法内閣法制局の審査は受けない。そのため、厳密な憲法解釈を含めた内閣法制局の審査が通るかが疑問視されるような法律を、審査が緩い議員立法として提出するという利用のされ方がされる場合もある。

3、今回の創作物規制において業界側に自主規制を迫るやり方

王様を欲しがったカエル ソフ倫が凌辱ゲーム規制を決意するまでの経緯
http://toriyamazine.blog100.fc2.com/blog-entry-237.html
10)警察、及びに内閣府ソフ倫に対する見解は、「 政府(この場合は官僚)は表現の自由を規制する法律を作れない。憲法に抵触するおそれがあるからだ。しかし、議員立法の場合は、表現の自由を切り離した規制法案を成立させることは可能である 」というものだった。

と、このように(アホ議員が立法するのでいい加減でもどうにかなる)議員立法の可能性をちらつかせながら自主規制を迫ったのが、基本的な構図です。(私は業界関係者ではありませんが)エロゲー製作者側から見れば、自分たちを守ってくれるのは「法律の形式的な側面」「立憲国家的な人権保障」であり、そこを曖昧にする議論には乗れないでしょう。
で、元エントリーの質問にお答えします。

1)「こういう議論」って、どういう議論? その典型例を指示してくれにゃーかね?
→「差別」と「差別を助長する創作物」は対立利益が違うため、他者の権利侵害のあるなしで分けて考えるのが基本中の基本。その境界線を曖昧にしようとする議論。私個人はtikani_nemuru_Mさんの立論は政治的な議論だという事は分かっていますが、法律に慣れていない人や規制したい人達は、そこを曖昧にして法規制に向けた根拠の一つとして理解するのではないかと思います。

2)で、なぜそれを控えるべきなのか、説明してくれにゃーかね?
→閣法での法規制ならば内閣法制局の審査をクリアできないので、境界線を曖昧にした人権制約立法は導入される事はありませんが、議員立法ならば適当な法理でも規制できてしまう可能性があるから。現在、国会では児童ポルノ法に絡んだ創作物規制なども議論されていますが、(内容への賛否は別にして)そういった事に正当性を与えるような議論は、結果として法規制に向けた後押しとして機能します。

>地下猫さんの立論とこの彼の公権力論とを分かつものがあるとしたら、それは多分公権力への個人的な警戒心や嫌悪感に過ぎないのでは、と疑ってしまう。
歴史的に公権力が表現を規制してろくなことをしてこなかったという認識は実に常識的なものにゃんが、これがチミにかかると「個人的な警戒心や嫌悪感に過ぎない」となるのかにゃ? アタマ痛え。

前回の記事にあった上記部分ですが、mixi日記は2,000くらい見てきましたが、規制派寄りの日記を書いた人で公権力に対する警戒心なんてもっている人は、ほとんどいませんでした。個人的には、サヨクとポルノ関係者といった、歴史的に緊張関係のある人達以外に、公権力と表現規制の危険性うんぬんを理解している人は殆どいないと思います。

3)それと、チミの「戦略」ってどういうもの?
私はGET27さんではないので、分かりません(笑)。ただ、tikani_nemuru_Mさんの立論は「差別問題」を考えるための枠組みであって、法規制を防ぐための枠組みではない事だけは指摘しておきます。

フェミニズム関係の書籍は、マッキノン、ドウォーキンジュディス・バトラーくらいは読んでいますが、「差別問題」に関しては私には特段の見識はなく、総合的な結論とかはありませんので、返信は不要です。後、当たり前ですが、私は言論の自主規制とかは迫ったりしませんので、その点も安心して下さい(笑)。